正月とミョヌリ
みなさん、はじめまして。
インジュといいます。
ソウルで生まれ、父の仕事の都合で来日、小学校から日本で育ちました。
韓国の大学を卒業して、今は日本の新聞社で働いています。
家では韓国語、外では日本語を使ってきて、もちろん名前も国籍も韓国です。小さい時は何の疑いもなく自分自身を韓国人と定義していたけど、日本生活が長くなるにつれ「私ってなにじん?」という悩むようになったりもしました。皆さんにも経験があるのではないでしょうか?
今は日本と韓国の真ん中から、多角的な視野で物事を見られたらと思って記者をしています。
月に数回、このあんにょんブログで時事や文化などについて紹介する予定です。
よろしくお願いします。
さて、お正月ですね。
私は昨年結婚して、今回が初めて迎えるお正月です。夫は日本人なので日本料理と、私の家での韓国料理、両方の正月料理が食べられて楽しみだな~と言っていたら、ソウルにいる友人は「のんきで良いね」とチクリ。正月などミョンジョル(名節)は、韓国のミョヌリ(お嫁さん)たちにとっては何よりもシデク(夫の実家)へ行くストレスの方が大きいといいます。おうちによるとは思いますが、確かに日本より韓国のお嫁さんの方が全体的に大変そうです。(ちなみに上の写真は実家の母の料理。我が家のトックには牡蠣が入ります)
今、そんなミョヌリたちに熱烈に支持されているウェブ漫画があります。
その名は「ミョヌラギ(며느라기)」。インスタグラム(@min4rin)で昨年5月から連載中でフォロワーは40万超。フェイスブック www.facebook.com/min4rin もあります。
ミン・サリンは大学同期のム・グヨンと結婚したばかり。義両親の誕生日には朝からわかめスープを作りに行き、祭事(チェサ)では汗をかきながら大量の料理を作り・・・。良い嫁と思ってもらいたくて頑張るサリンですが、だんだん不条理や疑問を抱くようになります。
ほんわかしたかわいい絵ですが、内容は絶妙なパンチ力があります。
チェサの準備は嫁がするもの。男性は手伝わずに座るもの。
男性には炊きたてのごはん。嫁たちは残りもの。
仕事で1週間の海外出張に行くサリンに、姑は「結婚して間もないのに1週間も家を空けるなんて何を考えているの。旦那のごはんはどうするつもりなの。会社に断るのはどう?」とたたみかけます。嫁にはそういう割に、同じく出張に行く娘婿には「滋養に良い物を作ろうか?」と言うのです。
いつも自分の意見をきちんと主張して、堂々と生きてきたはずの賢いサリンは、嫁になったとたん何も言うことができない自分を発見します。
韓国紙「京郷新聞」(2017年8月14日付)は「ミョヌラギ」の作品を「この時代の女性の残酷童話」と紹介。
「1980年代生まれの女性は全体的にそれ以前の世代より高い水準の教育を受けた。また個人的なアイデンティティーを重視する社会的雰囲気の中で、比較的既存の固定観点にとらわれずに過ごした。
だが結婚を通して伝統的な家族の領域に足を踏み入れると、「女だから」我慢しなくてはいけないことに対面してしまう。学校や職場よりも家庭内はより複雑で難しい問題が存在している」
と解説しています。
義両親も夫のグヨンも決して悪い人ではなく、ごく「平凡な家族」として描かれています。
嫁としての役割を求められ、それに応えるのが当たり前とされる空気感。
こうしたどこの家庭でも起こっている風景の描写は特に1980年代生まれの女性たちの共感を呼び、コメント欄は「まさに私の話」「胸が苦しい」という声であふれています。
サリンと同世代の私も、チェサでミョヌリとしてせっせと働く母を当たり前のように思ってきましたし、そして両親もまた「嫁」になった私に嫁ぎ先で同じような姿になることを求めています。そうやって再生産され続けるんですね。
ちなみに「ミョヌラギ」には、そうした習慣を打破するかのごとく、姑の小言は見事にスルーしてチェサには信念を持ってやって来ない長男の嫁が登場します。義両親たちにはもちろん大不評ですが、フォロワーには「かっこいい!」と熱烈な支持を集めています。
オモニやミョヌリについて、改めて感じることがあるのではないでしょうか。
ぜひ読んで見てくださいね。
アン・インジュ
1984年ソウル生まれ。1990年に来日、神奈川県で育つ。延世大学校政治外交学科卒。日本の全国紙に勤務中。お酒が弱くなったことが悩み。