『哀しき獣』(2010)
『哀しき獣』(2010、脚本・監督:ナ・ホンジン)
原題:황해(黄海)
本作は、『チェイサー』(2008)で衝撃の監督デビューを飾ったナ・ホンジン監督の第二作目である。
私が好きな韓国映画トップ5には間違いなくランクインする傑作だ。
まず初めに苦言を申し立てたい。この『哀しき獣』という邦題はナンセンスである。
原題のまま『黄海』で良い。
毎度思うが、一体誰がこのようなセンスのない邦題を考えているのだろう。別に『哀しき獣』に改題したところで客足が増えるとは思えない。韓国映画の邦題に、「復讐」「悪魔」等、毎回変わりばえのない単語を見るのにうんざりする。
因みに、黄海とは朝鮮半島と中国大陸の間にある海のことだ。本作では中国に住む朝鮮族のグナムが、韓国に出稼ぎに行ったきり音沙汰のない妻を捜すため、また借金返済目的で韓国での殺人の仕事を請け負ったため、命がけで黄海を渡り韓国に密入国する。
〜あらすじ〜
北朝鮮、中国、ロシアに国境を接する延辺朝鮮族自治州に住むグナム (ハ・ジョンウ) はある日タクシー運転手の仕事を解雇される。韓国に出稼ぎに行った妻からは、音沙汰も送金もない。賭博はとことん負ける。窮地に瀕したグナムは借金返済のため犬商人で殺人請負業者のボス、ミョン (キム・ユンソク) に持ちかけられた殺人の依頼を承諾し、韓国へ渡る。
本作は、四つの章から構成されている。
第一章「タクシー運転手」
第二章「殺人者」
第三章「朝鮮族」
第四章「黄海」
本作の見どころをいくつか羅列していきたい。
まず、主人公グナムの職業がタクシー運転手というのがセンスが良い。スコセッシ監督の『タクシー・ドライバー』のトラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)の鬱屈としたストレスと似たものを抱えながら働くグナムと共に、延辺朝鮮族自治州のゲトーな街並み・人々を映し出して行く冒頭のモンタージュは見事である。そこで逞しく生きる人々の匂いまでもが生々しく伝わってくる。
命からがらソウルに渡り、殺す相手の家を張り込むグナムが、寒さに耐えられずコンビニで辛ラーメンを食べるシーンがある。ズルズル、ズルズル。ハァハァ。ズズズズズ。これが実に美味そうなのである。
韓国の殆どのコンビニには、カップ麺等を食べる専用のイートインコーナーがある。私が韓国に在住していた頃も、学生がコンビニでカップ麺を頬張るのをよく目にした。
そして、自分の横で学生がフランクフルトを食べているのを横見するグナムは……(本作を観てのお楽しみ!)。
これから自分が殺す相手に、「朝鮮族だろ? 寒さをしのぐためにこのマンション内に隠れていないで、隣のサウナで温まりなさい」と金銭をグナムが恵まれるのも、グナムに葛藤を与える実に憎い演出だ。そう、映画とは主人公の葛藤なのだ。
車の上に人物が落下するショットが本作にはあるが、『インファナルアフェア』や『オールドボーイ』等、実に多くの映画で車の上に人物が落下するショットがある。そう、今や数多くの映画でお馴染み・お決まりのショット。このショットにもご注目あれ。
私がこの映画で一番好きなのが、主人公グナムと、朝鮮族の裏社会ボス・ミョンのマッチョなタフネスさだ。
グナムは殺人現場、バス検問等、何度もの絶対絶滅の危機を、超人たる生命力で命からがら逃げ切る。
そんなの無理だろうと言いたくもなるはなるのだが、しかしそこにリアリティがないかというと、いやはや、リアリティがあるのが摩訶不思議。この男ならやってのけそう感があるのである。映画にとってリアリティは不可欠であるが、リアリティとリアリズムは異なるのだ。
映画といえば、「追走劇」が一つの醍醐味であるが、グナムが警察やらヤクザやらから逃走する際の追走劇も本作の大きな魅力の一つだ。まじか、まじか、逃げ果せるのか? 行けるのか? 腕撃たれたぞ? どうなる? 毎回毎回ゾクゾクする。
ミョンの、どれだけの数の敵を相手にしても負けない生命力も凄まじい。殺した相手の肉を喰らい、奇襲してきた敵を人骨で殴り殺す。
差別されている側の強靭な生命力が、観ていてゾワゾワする。痺れる。
そして、漢たちが殺し合う理由がなんとも幼稚で哀愁が漂う。くだらないのかもしれないけれど、でも、人間ってこういうものだよなと妙に腑に落ちる。
ナ・ホンジンは、容赦なく登場人物を殺す。
主人公であろうと。この潔さ? が変な爽快感を与えてくれるし、世の現実を突きつけてくる。
そして、ラストのオチ。
嫉妬、疑心は身を滅ぼしうるのだということをこの映画から学ぶことができる。
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崔 正憲 (ちぇ じょんほん)
札幌出身の在日三世。
2005年 学習院大学経済学部経営学科 卒業
2015年 日本映画大学脚本・演出コース 卒業(一期生)
監督作品 『熱』(2015) 第9回 TOHOシネマズ学生映画祭 準グランプリ、第19回 水戸短編映像祭 準グランプリ 『DUEL』(2013) 『ナニジン』(2013)
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