「在日」という時代を生きる恋人たち
(8号掲載)

 何度か「恋」をしたことがある。
 いろんな人と出会い、恋に落ち、そして別れた。その恋が愛のような気持ちにならなかったのはなぜなんだろう。
 いつも白や淡いブルー、淡いベージュを綺麗に着こなしていた人がいた。とても素敵な人だった。風の好きな人だった。私のことを好いてくれた。ところがある日突然、黒やグレーの色を身にまとうようになった。私はその色の重さに耐えられなかった。その人はいった。
 「私がこの色を着るのは、私に希望がないから、私が日本人で貴方が韓国人だから、私には希望がないから。貴方はそれをなんとかしようとしてくれなかったじゃない? わかる? 私は貴方と一緒になりたかったの…さよなら…」

出会いと別れ

 一九九一年の日本厚生省の統計によれば在日韓国・朝鮮人(以下:在日)の日本人との結婚率は八二・五%。在日女性をとってみれば七十%近い数値が出ている。単純に割り算をすると在日女性の十人に二人が在日と結婚していて、残りの八人はそうではないということになる。日本社会で生活している私達在日は一億二千万分の七十万人。わずか〓%でしかないし、七十万人が一つの地域で住んでいるわけでもない。密集地と呼ばれる地域はごく僅かだし、ほとんどが孤立分散している。そんな在日同志の出会いの機会など日本人のそれと比較にならないのは一目瞭然であろう。その数値は出るべくして出たのである。在日同士の結婚を望む人達にとっては余りうれしいという状況とはいえない。

が、在日同志の結婚でなきゃいかん!といってるわけではない。よく「青年会に参加している皆さんは同胞同士で結婚し、同胞の血を絶やさないように」などとおっしゃる方もいますが、私にしてみれば種族繁栄のK・K・Kだ(K・K・K:アメリカの人種差別主義者団体クー・クラックス・クランの略語で、私はコリア・コリア・コリアの略で使っております)。まぁ、大抵うんざりしておる。

 結局のところ、在日の結婚状況は今も昔も余り変わっていないというのが、今回取材した実感である。

 ハラボジ(おじいちゃん)・ハルモニ(おばあちゃん)の時代は、顔も知らない男十六歳、女十四歳で一緒になって、気がついたら八人の子供と十六人の孫達、みたいな植民地時代の荒波を越えてきた逞しい生き方がそこにはある。そんなハラボジと今の若者の気質の違いはもちろんあるんでしょうが、「在日」という時代を生きる恋人たちの感覚でみたら、やっぱり変わっていないのだ。そこには底抜けの明るさと悲しみ、そしてやっぱり在日同士の「結婚のまどろっこしさ」がある。

 金相石(キム・サンソク)は同じ電気メーカー事務所で女性同僚の西原洋子とある昼休みにグルメ談議をしていた。

「キムチっておいしいでしょ」

「うん。おいしいよね、チゲ(鍋)にしたら最高」

相石はハっとしたらしい。−鍋といわずにチゲというこの子はなかなか通だな〜。でも彼女、顔の目元涼しく、ガッチリしたイカリ肩…ひょっとして、まっさか?二人はひょんなことからデートをした。その晩食事をしながら相石は告白する。

「俺、韓国人なんだ」

「え! うっそ〜! 私も〜韓国人!やっだ〜キャハハハハハ!」

韓洋子(ハン・ヤンジャ)の豪快な笑いと共に二人はあっという間にゴールイン。今じゃ二男一女のアッパ(おとうさんのパパ語)、オンマ(お母さんのママ語)。まったく夢のような話だぜ。フジテレビの月曜九時のドラマじゃあるまいし。これ本当の話。でもこれは相当運が良い方。大抵の在日は親戚や同郷(韓国の戸籍が同じところ。例を挙げると慶尚道など)の人から紹介してもらい見合いで結婚するというパターンがもっとも多い。後はブライダルとか、青年会のような民族団体の集まりで知り合って結婚というケースもある。

 しかし! せっかく出会った二人がゴールインするまでがこれまた大変なんである。何しろ親がうるさい、慣例が愛する二人をがんじがらめにする。それだけならいざ知らず、八親等程度の顔もめったに見たことないおばさんが登場するなんてことになりゃ、修羅場。

 「だめよ!男の千枝が悪い」

 「???」

 ある在日の同胞結婚情報所のデータによると、在日の結婚相手に求める条件は、国籍(韓国・朝鮮・日本)・本籍(慶尚道、全羅道、済州道など)・同じ本籍地でも故郷(なんと同じ済州道でも北郡・南郡・征夷郡など)を判別する・千枝・本貫・日本の住所(遠い・近い・同じ関東でも静岡や群馬はダメ、あるいは東京は遠い)・職業・身長・体重・血液・続柄・民団か総連か・学歴・メガネかコンタクトか・親と同居か趣味・資格…とどめは顔の良し悪しと歯並び…。

 ひゃ〜一体全体在日はド級のわがままなんではないか? 

 朴徹秀(パク・チョルス)は廃品処理業をしているアボジの手伝いをしている。笑顔が爽やかな好青年。そんな彼がブライダルで出会った権英姫(ゴン・ヨンヒ)は才色兼美のお嬢様。写真で見た限りだが、目もクリっとして細川ふみえ似の健康美人。四年制大学を卒業している。二人は二年間の交際を経て、結婚を決意した。徹秀は彼女の両親に結婚の許しを得に行った。(親に許されねばという点についてはここでは触れん)悲劇は起こる。彼を言葉の暴力が襲い、癒えることのない傷が残った。原因は本籍地と職業であった。徹秀は済州道。英姫は慶尚南道。英姫のアボジは彼にこう言ったのだ。

 「済州道と全羅道は人間じゃない。サンノム(李朝時代の農民の方に対する差別用語。江戸時代のエタ・ヒニンにあたるらしい)だ。職業も医者以外はいかん」

 破局である。徹秀は英姫を責めた。

 「なぜ、今までお父さんの考えを教えなかったんだ」

 英姫は何も言わず、徹秀の前から消えた。

 数年の月日が流れた。彼も三十五才に、彼女も三十三才。世間一般で言うところの結婚適齢期を過ぎた。彼女は結婚した。彼はコーヒーカップを見つめながらポツリといった。

 「彼女、俺と同じ村(本籍地の同郷)の人と結婚したよ…。パチンコ屋さんだって…」

 思い切って聞いてみる。

 「結婚する予定は?」

 「…わからないね。こればっかりは」

全く「人間じゃない」とまで言っておいて、一世の哲学はどこへいったか。空しさが心に残る。何とも理不尽じゃないかぇ。

 歴史の散歩道

 歴史を紐解いてみると、韓半島に結婚に関する制度が確立したのは、高麗王朝が滅亡して李氏朝鮮が設立された一三九十年代に太祖(一三九二〜九八)が建国当時から冠婚葬祭の制度に、婚礼では一夫一婦制の導入に努めはじめたのがその始まりらしい。太宋(一四00〜一八)世宋(一四一八〜五0)が「国朝五礼儀」を作り、その他の法律などにより、両班(ヤンバン・貴族のような方々の集まり)と庶民の婚礼に必要な諸規定を定めたのが、現在の韓式の結婚制度のはじまりらしい。

 こう聞くと結構しっかりしたものなのかと感心してしまうが、この法律、宮中儀礼に関わるものがほとんどで、一般庶民には何の関係もない、結構いいかげんなものだったらしい。よってその家によって風習が違うのが当り前である。

 例えば、結納。同じ家庭でも長男か次男、長女か次女かで各々違ってくる場合がある。また、本籍地によって表現や結納の品も変ってくるのでともかくヤヤコシイ。在日のほとんどは慶尚道の出身で、済州道が三割で、残りが全羅道、忠清道などである。当然、在日の儀式では慶尚道と済州道のパターンが多くなる。

 陸地(慶尚道・全羅道・忠清道など)は男性・女性を問わず、結納金を必ず納めて、家具なども種類多く準備する。済州道の男性は結納金もなければ家具もないのが一般的らしい。ところが、済州道の女性は結納金・家具など全て揃える。私が取材した範囲では、陸地の男性と済州道の女性との結納がスムーズにいくらしい。陸地の男性は金・家具すべて準備し、済州道の女性は自分で準備するわけだから、謙虚に男性側の申し出を辞退する。ご両人にとっては「良い方だな〜」と嬉しさ百倍、物も二倍って感じで気分がいいのである。だだ、最近は済州道の男性も結納金と家具を準備する家も増えてきているとか。

 さて、韓半島にある地域差別のあおりをくって、在日社会に蔓延る本籍地のどーたらーかーたらについてだか、古くは西暦六六三年「白村江の戦い」で百済軍が新羅・唐連合軍に破れたことに起因しているらしい。破れた百済王朝は日本に流れ、この瞬間に全羅道への偏見が始まった、という人もいる。そこへ「風水地理説」なるものが出てきて、あの地では作物が育たないなど、人を平気で裏切るなどの根拠のない話が出てきたのも理由の一つという人もいる。結局のところ、「全羅道はダメ」とか「陸地は駄目」なんていう言葉には何の根拠もないんである。

 愛さえあれば・・・・・・

 そんなこんなで在日の結婚はホントに大変だ。この広い日本社会でようやく出会った在日の若い二人が愛し合い、親にかけ合う。その瞬間、根拠のない

古い風習が二人を引き裂く。そんな二人には頑固なアボジと二人を助けようとするオモニの姿と、そして「そんな風習に負けるな」と若い二世の親戚の姿がある。それを乗り越える二人もいる。家を捨てられない二人は別れていく。あるいは日本の若者との愛にかける青年たちの姿もある。それを「道ならぬ恋」とは誰が言えるのか。不倫しているんじゃあるまいし。いいかげんにせんかい。

一体全体、前述した統計的な事実を在日社会はどう捉えるつもりか。十人に八人は日本人と結婚していく事実、帰化申請の多くの理由が婚姻である事実を。「民族性がない」なとどいう崇高な言葉を使って若者の気持ちと行動を非難することが、今の在日社会にできるはずはないんである。筆者言おう。くだらん風習を捨てよ、愛を求めよう!

 こんな二人と出会った。

 李信二(イ・シニ)は大手建設会社の設計士。頭脳明晰で仕事はバリバリできる。同僚にも男性、女性問わず、時には遊びにいくホモバーの中性の方にも優しい。

 そんな彼も三十を過ぎて、世間様の言うところの適齢期を迎えた。青年会の行事や青商(在日韓国人の青年商工会の集まり)などのブライダルパーティーにも何度か参加して気にいった女性と交際しようとしたが、全部ダメ。なぜか。身長百六十三センチ・体重八十二キロの体形に前頭葉が出ているハゲなのである。そこに原因があったらしい。あ〜あ、と本人嘆きに嘆いた。親戚から見合いの話もあり、いろんな女性と会った。信二は気に入るのだが、相手が断わる。

 在日の女性達も日本の女性同様に三高(高学歴、高収入、高身長)がお好みらしい。苦労したくないという気持ちなのだろうが。困るね〜ホント。確かに、在日同士の結婚の離婚率は日本人と比較するとやや高いと言われている。在日男性の社会的地位は以前低く、職業面の苦労も多い。共働きの夫婦が多い。在日の女性はその苦労を共にできずに離婚というケースが多い。楽をしたい、格好がいい、お金がある、現代の人間の欲望そのまんまである。男も女もこの点に変わりはない。話がそれたがとにかく信二は女性に縁がなかったわけである。

 そんな彼だが、会社の合コン(今どきそんな表現するか?)で総務課の福山俊子に出会う。年齢二十九、身長百六十七センチ、彫りの深い、これまた足の長い、誰が見ても超ド級美人。部署でも係長をしているキャリアである。二人は映画の話で盛り上がり、何の気なしに二人で映画を見に行く約束をし、交際が始まってしまった。半年後、信二は俊子にプロポーズ。ためらうことなく、俊子は受けた。信二は本名で会社に通っていたので彼が韓国人であることは知っていた。

 「彼の人柄にも引かれたけど、在日である彼の個人の歴史と韓国の歴史と文化にも興味を持って勉強したのね」 韓国人である彼との結婚! 日本人である彼女との結婚! 相方の両親は反対した。しかし、明確な結婚生活に対する考えで一致していた二人は両親を説得し結婚へ。

 俊子は金俊子(キム・ヌンジャ)と改名し、現在韓国籍を持つ一児のオンマ。(母親)

 ちょっと意地悪な質問をしてみた。 「純粋な日本人から韓国人として生きることへの抵抗はなかった?」

 「ないといえば、嘘になるけど、彼の生き方に共鳴した以上、中味のある生き方をするにはこれしかないと思った」

隣で信二が照れ笑う。何か嫉ける。現在も俊子は在日の歴史やウリマルを学び、信二のオモニから韓国料理を学ぶ日々だそうだ。

 もちろん、これも幸せな例の一つではある。国際結婚で民族性を抹殺されて涙ながらに帰化をした在日女性をたくさん見てきた。日本人の義父母とどうしてもうまくいかない。かといって日本人の夫が、あるいは妻が助けてくれなかったといった。。二人は別れるしかなかった。辛い物語である。なぜなんだろう。あんなに愛し合っていたのに。

 ちょっと思い出してほしい。一緒に二人で生きていこうと決意したあの日のことを。彼は、彼女は貴方にこう言っていたはずだ。そして貴方はこう言ったはずだ。

 「いいじゃない、日本人でも」

 「いいじゃない、韓国人でも」

 「いいじゃない、愛があれば」

 いい言葉だと思う。本当に愛した人を思いやろうとしていたんだね。

 だけど貴方は、日本人である・韓国人である、彼や彼女の生き方・習慣、そして背中に抱えている何かを理解していただろうか。愛だけあれば全て乗り越えられると錯覚していたんじゃないか。

 決して。

 信二と俊子の例で、日本人との結婚の方法を教えたわけではない。

 別れたことをあざ笑うわけでもない。

 ただ、感じて欲しい、彼らの、互いを理解しあう生き方を。

 在日同士だろうが、日本人とだろうが、本国人とだろうが、二人は赤の他人だ。歩んで来た道程が違う。異質なのである。異質なものを理解し合わぬところで長い人生歩んでいけるはずがない。

 

 人を愛することは素敵なことだ。人を愛することは、その人の人格をすべて受け入れることだ。だから一生懸命に愛したい。理想や幻想で愛を語っちゃいかん。「愛さえあれば・・・・・・」なんてセンチメンタルはぼちぼち捨ててはみないか。

 「在日」を生きる恋人達にほんの小さな幸せがあらんことを願いつつ…。

 

※編集部注:文章中、登場者は全て仮名です。

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