スペシャル・インタビュー

三國連太郎さん
(14号掲載)

 

個人として歴史認識を正確に咀嚼し、それを基本にして話し合う。これにつきるんじゃないでしょうか。

三國:もともとは同じ種です。私はそう信じてやみません。鳥居竜蔵の有名な著作に「日本民族起源論」という本がありますが、日本列島には先ずアイヌ民族が住んでいたが、その後朝鮮半島から入ってきた者で、現在日本の隅々の神社に祭られている国津神それが『固有日本人』なのだそうです。それが今日、つまり数千年を経て別々の花を咲かせたのです。この歴史的な事実をはっきり認めた上に生きていかなければいけません。同じアジア人どうしという視点で仲良くやっていかなければいけないという意志が「三たびの海峡」(以下「三たび」)を引き受けた基調でした。

じつは原作とちょっと違う不用意に省略された脚本だったのです。一八六八年以来、日本は外交慣例を無視した国権外交をしますが、その根底に朝鮮蔑視の歴史があったのです。例えば江華島攻略もその表れです。「遠く和して近く攻める」という対朝政策による基本姿勢は近代史に数え切れない惨状を記してきました。(詳細は岩波新書「韓国併合」を参考にされたい)朝鮮総督府の設置、日本の財閥が政府の庇護のもとに行った数々の仕事。あとマルトクという日本の利権屋。お百姓さんのところに杭を打って、「今日からここは日本人の誰それの土地だ」と言って取り上げるという勝手なことをした。「その部分も入れた方がいい」と言ったんですが、どうしてもシナリオが間に合わなくて折り合いがつかず、「やること自体に意味があるんじゃないか」と思って出演させていただきました。

司会:私どもの周囲にもさまざまな形でご協力くださる日本人の方がたくさんいらっしゃいますが、世界的にご活躍されている三國さんが日韓の近代史という「臭いものにフタをしろ」的な部分で「三たび」に出演してくださったことに私たち在日韓国人は敬意を抱いております。今日はいろんなことを勉強させていただくつもりでお話を伺わせていただきます。

三國:何にもわからないもんで、どこまで答えれるか心配なんですけどね。

司会:常に謙虚で、研究熱心であられながらも「日本と韓国の橋渡しとなっていく」という実践の姿勢は私たちに大きな感動を与えてくださいました。

三國:小学校の頃、在日韓国人のサイという一つ年下の子が近所に住んでいたんです。僕はなぜか人一倍彼と仲良くなりましてね。彼は運動も優れてましたし、勉強もできました。しかし、私が旧制中学に入ったのに彼は入れなかった。その事情が不思議でしょうがなかった。その影響もあってかわかりませんが私は中学二年のときにサイ君の故郷である朝鮮半島に行ってみたいと思いましてね、釜山に渡りました。

司会:それが初めての在日との出会いだったわけですね。釜山では弁当売りをなさっていたとか。

三國:確か岡本食堂といいましたね。そこの臨時雇いで駅弁売ってました。波止場のすぐ側に赤レンガの駅がございましてね。そこからアジア特急が出ていたんですが、その駅と関釜連絡船の発着桟橋の間で弁当を売ってたんです。サイ君との出会いが私に朝鮮半島へのこだわりを持たせたといってもいいのではないでしょうか。私よりも能力があって才能が溢れているのに中学に入れない。そんな矛盾がまだ子供だった私には理解できませんでした。その頃は一般にわからない規制があったんでしょうね。一年から五年までわずか五百人位の生徒しかいませんでしたが朝鮮人の生徒は一人もいなかったように思います。

司会:「三たび」を通じて一番感じてもらいたかった部分は。

三國:明治時代に不公平な条約を締結させられて、朝鮮民衆の自由を踏みにじってきたわけです。国権外交の虚の部分だと思いますが、以来朝鮮半島のお百姓さんは、自分たちは作っても食えない状態でお米を日本に供出していたわけです。もちろん田畑を奪われて仕事もなく都市に職を求めますが、今で言うフリーターですか、やっと生命をつないでいるという現実だったと思います。それが結局、戦前の列島移住の原因となっていたと思います。秀吉時代からもいろいろなことがありましたが、現実的になるのは日清戦争以降で、日本の政治的侵略が目に余る状態を生み出す根源になってしまいます。そもそも日本の文化は大陸からの文化で、吹きだまりの島で巣立ってきてるわけです。これは私自身の独断と偏見かもしれませんが「種は一つ」だということにこだわりがあります。種が一つなのに、なぜお互いに手が結べないのだろう、仲良くできないのだろう。政治的にまたは自分の利権のために朝鮮半島を踏みにじっていった過去の歴史というもの認識し、できるだけ自分の手に入る本や記録を読んだりして本日に至っているわけです。今じつは、本業の合間を縫いながら、原作、まあ言ってみれば小説らしきものを書いているんですが。今から二十年位前だったかな、沖縄へロケに行ったとき「琉球処分」について、今まで無関心だった闇の部分を知る機会がありました。昔、琉球王国は薩摩の侵略を受けてしまった。廃藩置県のときに日本政府から勝手に支配されてしまうわけです。そのときの処分の在り方と朝鮮半島の銃による威嚇調印の方法論が似てるんですよね。そして神社を勝手に作って同和という正義を振り回し、名字も日本名に変えさせる。沖縄では沖縄語を使うとスパイだということでどんどん投獄されていく例もあったと聞いています。朝鮮では三一暴動がありましたが日本の歴史ではそれを触れないんですよね。無残な写真も残ってますし、事実は厳然としてあるのにその部分には目をそらします。慰安婦問題でも同じではないですか。とんでもない文化人がいまして、あれは「銭儲け」つまり生活手段なんだと言い張ってます。強制はあったわけです。依然として、「どういう形で強制されたのか証拠がない」と主張される方もおられますけれど、証拠なんてどんどん燃やしてしまえば消えるものです。だから私はこれから先はそうした実証主義を重く見ないで、現実問題として人間的に見つめ直すことがお互いが理解しあえる上で必要な認識だと思うんです。

司会:従軍慰安婦の問題について、実証主義ではなくてお互いの言うことに反発しあうだけでなく、まずは「耳を傾けていこう」ということでしょうか。

三國:慰安婦問題を実証するなんて一種のノゾキ趣味ですよ。僕らの世代はいやおう無く戦地へ行かされたわけですが、僕は祖国っていうものに今も疑問を持っているんです。敵という対象も概念も理解できない。ですから「国家的な意味で」なんて理屈を言われましても困ります。個人として認識できない以上は戦いたくありません。戦地に行っても鉄砲を撃てるわけないでしょう。たとえ敵が前にいましても。僕とか竹下(元首相)さんくらいの同世代は皆共通の経験をしていると思いますが、そのところに来ると触れないんですね。自分の体験に対して。でも軍隊の行く先々に必ず慰安所というのがありましたし、韓国の女性たちがいたわけです。それが営業だというふうにいう日本の女性文化人もおりますが。私の経験では関釜連絡船で朝鮮半島に渡るにはやかましい証明書の申請が必要だったわけです。もちろん朝鮮半島から来る場合でも、仕事探しに来るにせよ、連行されてくるにせよ、船で渡る場合には総督府の審査が必要だったわけです。それがたとえ民間だとしても、必ず総督府や軍がかかわりあいを持っていたはずだと思うんです。前線ではどうか知りませんが、駐留地では日本軍の将校達は特別に職業的な日本女性が慰安に応じていました。我々兵卒を対象にするのは現地にいる韓国・朝鮮人女性だったわけです。それはすぐ発音でわかりましたよ。急に日本語の教育をさせられたわけではないでしょうがすぐにわかります。その部分については名誉に関わるでしょう。触れないというか、触れたくないのでしょう。私にはさっぱり理解できません。司会:たいへん貴重なお話で、そのまま勉強になるんですが、三國さんのご両親はどんな方だったんですか。

三國:両親は職人なんですよ。群馬の方に仕事を探しに行き、発電所の工事やなんかをしておったようです。僕が生まれたことで結果的に定職を求めなければと、伊豆半島に定着しました。

司会:韓国人のご友人は大勢いらっしゃるんですか。

三國:現在ですか?そんなにたくさんはいないです。先ごろ作家の小田実さんの奥さんがチマチョゴリの問題のとき発起人になれっていうんでなったり「三たび」のときに共演した李さんとか。その他おそらく僕には直接は言わないんですが、在日の人達もけっこういらっしゃったんじゃないかと思います。野球の金田さん。撮影で初めてですが張本さんもそうですけど。あの方ははっきり意志を表示されますよね。在日の方は誰でもそうですか?オブラートに包んで物をしゃべったりしませんね。「三たび」の記者会見でも記者に対してハッキリ問題点を大声で指摘されてましたしね。「お前たちはなんだ≡」って。

司会:十数年という歳月をかけて書き上げられた小説「白い道」の中でもっとも伝えたかった部分は。

三國:技術をもった人達がほとんど大陸出身であったという認識と、信仰的にずっと親鸞に帰依していくという純粋性を描きたかったんです。映画では二人だけに絞ったんですけど、朝鮮風の白い衣を着てもらいました。先程も「文化の源流は大陸から来たものだ」と言いましたが、多くは北魏から大陸を通って百済、新羅、高麗等の文化人が日本に来て定着していったのです。古い資料なんか見ましても飛鳥という近辺には半数以上が朝鮮半島の人達だといいます。これは有史後の記録で冒頭に申し上げたように、列島の古来は既に大陸系の国津神が広大な地域にわたって生活を営んでいたものと思います。つまり「新来」の同胞を史料は指しているものと思います。古代海洋学なんか読ませていただいても、現在の朝鮮半島と日本列島っていうのはもっともっと近かったようです。もともとくっついていたんではないかという説もありますしね。関釜連絡船で海峡をわたっておりますとそれが実感できますね。

私たち先祖については血液から交じりの具合が実証できるようです。仲曽根(元総理)さんなんか日本民族は単一民族だって広言しているようですが大変に量見が狭いですよ。あれだけ教育を受けたインテリ人が日本人は単一民族だって心底から信じておられるんですかね。ふきだまりですからね、日本列島っていうのは。かつては北の民族も住んでいたし、そこに大陸系の人達が入ってきた。南の人達も入ってきたし。もう、これはもう血の交じりから言ったら完全な混合民族ですね。それなのに、どうして人種的なことにこだわっていくのか僕にはなかなか理解できないですね。

司会:「三たび」ではネイティブかと思わせるような見事な韓国語を披露されていましたが。

三國:いや、お恥ずかしい。(笑い)実はですね。最初在日の方に発音を教わったんですが、どうも(ネイティブの発音とは)違うような気がしまして韓国の映画監督さんに直接教えていただきました。ところが発音しにくく不可能と思えるぐらいな難しい部分、発音がありまして、その部分をどうやって乗り越えたらいいか、その監督さんに相談しましたら「アドリブ的な言葉に変えていけばけっこうごまけるんではないか」と言われました。あれは耳から聞いたモノローグ状態で発音しているだけなんです。

今、関西の出版社から頼まれて僕の経歴とかささやかな文化論を書いているんです。この中で十二、三才で朝鮮半島を歩いた印象を書いてるんです。岡本食堂をやめてしまった理由は、子供心に権力を背景にして威張っている横暴な日本人がいることが嫌になってしまった。食堂を出て波止場から駅前の大通りで、たしか日本名のチューザンロって言ってたんですが、そこに倉庫街がありまして、職を求める朝鮮の人達がずらっと日陰に並んで順番を待ってるんです。そこでは「いい加減に仕事くれ」みたいなことをぶつぶつ言ってる朝鮮人を日本人の手配師が見つけまして、怒鳴りながらステッキを振り上げて殴ってるんです。抵抗すれば他の人たちも一蓮托生ですからみんな見て見ぬふりをしている。殴られた人が最後に「ナップンサラン」ってつぶやくように言ったんです。たったひと言、短い滞在でしたが今もって半島の言葉として覚えてるのはその言葉だけです。あと意味はわからないんですが「カマイッソ」とか。これはウロ覚えなんですが、それを編集者に言ったら「カマイッソっていうのは使わないんではないか」って注意されましてね。

司会:「カマイッソ」って言うのは釜山の方面の方言なんですよ。

三國:ええ、そうなんですか。じゃあ編集者に電話してそのまま使ってくれっていうか。(笑い)「三たび」については文句を言いたいことがたくさんあるんです。在日の方が資金を提供してくださって作ったって聞いているんですが、上映されてる映画館というのが、どこ行ったらいいかさっぱりわからんような場末の小さなところなんですよ。宣伝もしてない。なんということをするんだ。率先して全国組織を通して上映すべきだと思ったんですが駄目でしたね。日本アカデミー賞の受賞式のときもスタッフが誰も来てないんです。他は全員スタッフがいてノミネートされた者から順に紹介されていくんですが、僕一人だけだったんです。それで、ちょっと文句言おうかなと思ったけど、もめてもしょうがないなと思って、黙って「ありがとう」って言いました。(笑い)まあ、生理的な自己規制みたいな配慮が配給会社にあるんだと思います。そんなことは気にしなくてもいいはずなのに、僕らみたいな一般庶民は「何言ってんだ」って思うくらいですから、別に自己規制する必要はないと思うんですけど。

司会:韓国での上映もストップされてしまいましたよね。

三國:僕もすっかり行くつもりでいたんですよ。ソウルで上映するっていうんで用意してたんですが、前日になって製作会社の方から「ストップになりました」って言うんで「ああそうか。韓国にも色々事情があるんだなあ」と思いました。せめて日本上映だけでもきちんと、って思ったんですけど日本の上映もそんな具合でしたね。

司会:韓国における日本文化の解放についてのお考えを。

三國:それについては国際情勢が違います。単純には言えませんが、少し神経質になり過ぎてる部分はあるように思います。先日釜山に行って町を歩いてみると映画館が結構あるんですが、アメリカのドンパチ映画ばっかりなんですよ。「これは危険じゃないかなあ」と思いましてね。最近日本でも幼児殺害事件や誘拐事件が毎日のように報道されていますが、あれはやっぱりアメリカ映画の影響が大きいんではないかという気がするんです。ヨーロッパでは、アメリカ映画を若干牽制しようとしているようです。とくにフランスやドイツではそういう悪影響に気がついているんではないかと思います。

司会:現在まで出演された映画でもっとも心に残る作品は。

三國:戦後日本経済のドグマチックでただ無茶苦茶に押し切ってきた戦後の社会状況を描いた「飢餓海峡」。それと、将軍達の生涯をテーマにした「異母兄弟」。あと、いったい誰のために戦っているのかという目的を失った兵隊の無残な在り方を描いた「陸軍残酷物語」。その三本位でしょうかね。

司会:監督としての今後の抱負など。

三國:三年ぐらい前にある出版社と約束して、ずっと書けてないんですが、北九州を背景にした沖縄の女性と在日の二世の物語を考えています。二人の社会背景をバックにして、いかに個人というものが虐げられているかという個人の話を描写しようと思って書いてるんです。それがうまく書ければ映画にしたいと思っています。私はプロの監督じゃないですから、自分で書いて自分で撮りたいと思うものだけ撮っていく考えです。

司会:何かお手伝いできるようでしたら、ぜひ声をかけて下さい。

三國:それはどうも。

司会:俳優・西田俊行さんをべた褒めのようですが。

三國:西田君にも直接言ってるんですけど、流れの速い時代の中で自分の才能をどんどん酷使してしまう部分があるんですね。僕たちの世代から西田君の世代また次の世代に行くのに「あなたが潰れてしまったら次の世代はどう君を受け止めるのか。役者としてそういうことに対する認識を重く感じながら少し仕事をセーブした方がいいんじゃないか」と言ってるんですけどね。才能をもった人なんです。ただ、大向こうにサービス精神が旺盛のようでして。才能という大事な部分をどんどん摩滅させてしまっているんじゃないかという気がするんですよ。僕は仕事があんまり好きじゃないし、怠け者なもんですからブラブラしてる時間が多いんですが。私の周りで、ある方向をもった人達、たとえばかつて左翼の運動をしていた作家もいるわけですが、いつのまにか現代社会から排除されてしまって名前も知られなくなってしまう人もたくさんいるんです。自己犠牲で擦り減ってしまったんでしょう?

司会:人生には余裕も必要だということでしょうか。

三國:次の時代のためにはやはり仕事に余裕を作るべきではないかと思います。時間をかけて人が文句言おうと何と言おうと「ちょっと待ってくれ。考えさせてくれ。」と言って議論するのを惜しんではいけないです。たとえ明日までに仕上げなくてはいけない製作条件があったとしても、無視して時間をかけていく方がいい仕事ができるような気がします。

私じつは外国へ行くのが嫌いだったんですが、体で外の人と接することの大切さが最近になってわかってきて、積極的に外国へ出て行って同じ映画や芝居をする人達と会ってるんです。彼らは貧しくとも人生を楽しんでるんですね、自分の仕事を通して。イギリスのエアーさんという有名な演出家なんですけど、彼が「日本の芸術家はどうして仕事を楽しまないのか?」と言います。「悲愴感がある」って言うんです。悲愴感っていうのは、人は悲愴感としか見ないわけですよ。楽しんでやる姿、楽しんで運動をやったり楽しんで芸術をやったりしている人の方が膨らみがあるんじゃないでしょうか。

司会:「美味しんぼ」では息子の佐藤浩市さんとご共演された。

三國:息子とは人間としての考え方が違うんです。そういう意味で親子でも他人だなと思いました。「二度と(一緒に)やるまい」と感じました。

司会:人生の大先輩に座右銘をお伺いいたします。

三國:座右の銘といえるかどうかわかりませんが、四国に真民さんという八十歳くらいの詩人がいます。彼の詩の中に「人間は他人を食って生きる以外に方法がないんだとしたら、そのことを自覚することが自己の生きざまをはっきりとさせる主題ではないか」という内容の長編詩があるんです。他人を倒し、他人の血を吸って、他人の肉を切ってしか生きられない宿命をもっている人間社会、人間そのもの。非常に動物的な部分があるのかもしれませんが。そうして生きているということを自覚することが大事だと言ってるんでしょう。だからキリスト教的な「汝隣人を愛す」っていう愛ではなくて「今俺は生きているんだ」という自己愛に目覚めることの喜びを掴まえることではないですか。

司会:素晴らしいお話です。

三國:ところで先般、阪神の大地震がございましたよね。私なんかも、なんか協力しなくてはと思ってます。あれは地震の一カ月くらい前、長田区で講演をしたことがありますが、あそこが特にひどかったわけです。私なぞは地震が起きた直後に「すぐなんとかしなくては」と思ってたんですが「ちょっと待てよ・・・」と戸惑ってしまったんです。僕の友達でも税金対策かもしれませんが四千万も五千万も寄付してる者がいますけど、「あれは本当に価値ある協力なのか」と自分の仕方に疑問を抱いたんです。被災者も私達と同じ納税者です。とすれば国の義務を優先的に受けなければならないのです。しかし政府は金縮財政だとかいって多少は国会で討議をしているように見られますが、優先すべきはずの被災者に対してはあまり目に見える救援の成果が見られませんね。

司会:私たち在日韓国青年会の活動でも同じことが言えると思います。

三國:だから、どうしたら僕は奉仕というか、人間どうしの肉薄した関わり合いができるかと考えながら何もできないでいるわけですけどね・・・。これじゃ政府よりもっとひどいかな、私の方が。

司会:日韓友好のために最も必要なことはなんだと思いますか

三國:やはり個人として歴史認識というものを正確に自分の中で咀嚼することだと思います。それを基にして話し合いをする、ということに尽きるんじゃないですか。それ以外にはないんではないかと思います。私はこういう職業ですから「三たび」に出演させていただいて、自分自身の問題意識を投げ出していくことでそれを実践しています。今取り組んでいる沖縄と朝鮮半島との歴史的なグランドを背景にして二人の男女の問題を追っかけています。まずは個人レベルで運動、生きざまを認知する。それが大事なんじゃないですか。

司会:全国十二万人の在日韓国人青年にアドバイスを。

三國:知ったふうなことをしゃべる愚行は知らない証拠であると私は自身を戒めておりますので単なる空言と聞き流してください。この百年の利害が右と左に極端に別れてしまったわけですが、それを短時間の間に理解しあうことは大変難しいと思うんです。僕が今企画している映画も含めて、できるだけ選んで出演していきたいと心掛けています。それは次の世代が事実を認識し、その積み重ねがいずれ何らかの花を開くことになろうと思うからなんですね。急ぐとかえって溝が深くなるような気がするんです。自然に接点をもつことが大事だと思うんです。これは僕の誤解かも知れませんが、日本はソウルに総督府をつくって、経済人たちは利権を求めてひどいことをしたんですが、利権に与した一部の(朝鮮の)人達もいらっしゃるわけです。きしみが両方にあるわけです。そのきしみをいかにして埋めていくかということは時間をかけるということではないでしょうか。僕は事実認識というものを僕なりに文献から学ばせていただきました。ですから明日ソウルで上映される予定の「三たび」が急にだめになったとしても、歪みの部分がまだ生きていると思って、別に腹も立たなかったんです。

 故・金達寿さんの「日本の中の朝鮮文化」を読み、たいへん触発されました。「三國遺事」も勉強しました。ぜひ七十年間生きてきた自分の心でもう一度朝鮮半島の土を踏んでみたいと思います。

司会:南北統一について。

三國:いろいろあるでしょうけども、ドイツもそうだったようにどうにかなるんじゃないでしょうか。ひょっとしてマスメディアが亀裂を誘って邪魔しているのかもしれません。いろんな国を訪ねましたが、日本のマスメディアは大変に質が低くなっていると疑うこともあります。

お笑いになると思いますが、二十一世紀は国際的にも大きな節目になると思います。しっかりした個人の自覚と認識が大事だと思います。人々がどんどん娯楽に埋没し、果てもなく押し流されています。でもいつか人々が「これでいいのかな」って考えるようになるでしょう。時間はかかると思いますが。

司会:役者の世界でも今と昔ではしきたりなんかも大きく変わってきているんですか。

三國:私の戦後は西洋文化の洪水の中で、それに毒されていました。しかしどうしてもついていけない部分というのに気がついたんです。風土とか食文化を通しながら「あれ、俺ちょっと違う方向に来ちゃったかな」と。「これはもとに戻らなくてはいけない」と。でも、不安でした。時間にして三十年も四十年も経っているわけですから。 私の役者生活ももうすぐ五十年になりますが、新しいものとか流行というものに溺れてしまっていた部分がありました。「これは違うんじゃないか」という疑問が沸いてきて、方向転換するのに二十年くらいかかりました。

 まず自分自身の世界と縁を切ってみることにしたんです。

司会:約五十年ぶりに訪れた韓国(釜山)の印象は。

三國:たった二、三日の滞在で失礼な言い方かも知れませんが、バブル当時の日本を思い起こしました。

司会:韓国は急激な経済成長で伝統的な儒教文化の陰が薄くなってきています。

三國:大変に申し訳ありません。ご質問が難しすぎて私のようなものには安易にお答えができかねますので今日は失礼ですが遠慮させてください。

司会:今後の抱負を。

三國:まあこの年ですから、出ていい作品とそうでないものを判断して出演していきたいと思います。今のところ三本の映画に出ることになっていますが、どうなるかわかりません。

 私、慶州に行きたくてしょうがないんです。日本の文化の原点がまだそのまま生きているんじゃないかという気がしましてね。映画「利久」の茶室は造りがどうみても日本的じゃないんですよ。大陸文化が茶室に生きているんです。監督の勅使河原(宏氏)が慶州に行ったら「同じものができていたって」いうんです。要は日本の茶道はまるっきり真似してるんですよ。お茶の文化は直輸入なんですね。

司会:韓国料理はお好きですか。

三國:ええ、大好きです。

司会:クランク・インされてお忙しくなる前にぜひ韓国料理をごちそうさせてください。

三國:それはそれは(笑い)。孔魯明前駐日大使のご招待で韓国大使館にお呼ばれしまして、そこでいただいた松の実のスープが美味しくて。妻に買って来させて食べましたよ。じつは若い頃からの知人で水上勉という作家がおります。彼と都内の喫茶店で偶然会いましたときに、髪の毛が真っ黒になってたんですよ。松の葉っぱを大根と煮込んで食べてたら髪が黒く生え変わったっていう。(笑い)

 

今日はご多忙のところ、本当にありがとうございました。今後ともご健康で益々のご活躍をお祈りいたします。

取材の感想

お約束いただいた一時間を大幅に延ばしていただきなんと二時間三十分も貴重なお話を伺うことができました。慎重に言葉をお選びになりながら話されるお気遣い。半世紀に及ぶ役者生活で培われた研ぎ澄まされたお言葉は、重厚で一言一言がまさに宝。若輩のインタビュアーは生意気ながら「氏=謙虚+誠実+勤勉」のお人柄と実感いたしました。包み込まれるような温かいお人柄がご一緒させていただいた私自身の心も豊かにしてくださいました。ご同行いただいた奥様にも心より感謝申し上げます。お帰りは奥様の運転で氏はなんと助手席にお座りに。仲睦まじいご夫婦を拝見し、思わず溜め息。ご協力、ほんとうにありがとうございました。カムサハムニダ.

聞き手/申大浩(東京プリンスホテル「ボーセジュール」にて)

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