今年はNew Yearと旧正月を2回楽しみますけど何か?〜在日韓国人のシドニー滞在記〜
Hey guys! どうも、しげきむです。
年が明け、春の訪れももうすぐ。いかがお過ごしでしょうか?
2020年は、東京オリンピック・パラリンピックがあり、日本に住んでいる人は胸が高鳴る想いがするのではないでしょうか。
オーストラリアの1月は、まだまだ夏真っ盛り。バッチバチに日焼けしたあげく、サングリアを作ってキンキンに冷やして飲むのが最近の僕の日課となっています。
オーストラリアのシドニーといえば、11月からの続く山火事(Bushfire)が最近のニュースになっているところです。年末年始のホリデーの期間中にもその苛烈さを増し、韓国の国面積に相当する1030万ヘクタールが焼失したとされています。
(この話題はデータが出揃っているであろう来月に回します。)
さてさて、今回のこの記事では「シドニーの正月は長い」という話をしていきたいと思います。
正月が長い?!
おそらく前回の記事では、ホリデーが長いという話をしたかと思います。実は、オーストラリア(少なくともシドニー)では、お正月も長いんです(笑)どんだけ休み好きな人達なんだと思う方もいるかもしれませんが・・・・その理由は、「旧正月」です。
オーストラリアのシドニーは、言わずと知れた多国籍・多民族・多人種都市です。
その中には中国系の人々がたくさん居ます。韓国に親戚がいる、または韓国に住んだことのある方ならご存知かもしれませんが、韓国では旧正月をもって本当の新年を迎え入れるという風習があるかと思います。その他にも、中国本土を始めとして、香港・台湾・東南アジアの一部など、かつて中華帝国が東アジアを席巻していた時代に、中国の影響を強く受けた国々は、旧暦での正月をお祝いします。
その勢いたるや日本に住んでいても街なかで大挙する東アジアからの観光客に出くわしたり、今年どれだけの消費があった、セール開催中というような報道を見聞きしているところだと思います。
オーストラリアのシドニーでは、イギリスに次いで人口の多くを占める中華系の人たちが多いことから、Sydeny Lunar Festivalというお祭りが開催されます。
今年は子(ねずみ)年です。十二支の中で最も一番最初に神様の元に到着した動物で、今年はまた新しい何かが始まっていく年とされています。2020年という新たな10年(decade)の始まりでもあることから、一区切りがついて新しい価値を発見していく年になるのではないでしょうか。・
ちなみに、オーストラリアでこのSydeny Lunar Festival 2020の広告を見ると、ご丁寧に”The Year of the Rat” と書かれています。Ratと書かれてしまうと一気に動物感が増してくるので、全然ピンと来ず全く違う世界を見ている気分です。
しかし、内容は中華圏のお祝いと限りなく近いようで、これはこれで存分に楽しもうと思います(笑)
“New Year”と「旧正月」
今年初めて、正月休暇に入るところから終えるまでを海外で過ごした中で気付いたことがあります。New Year と正月は全く違う、ということです。
まず大きな違いとしては、そこに現れる文化的な背景の差です。単純に「新年」としても、風習・言語、宗教観などの違いから、一様に言語を機械的に翻訳して伝わるものではないということです。”The Year of the Rat”というコピーが良い例で、確かにねずみではあるけれど、英語にすると不思議な感じがあるのはそのためだと思います。当然、New Yearの方はクリスマスから続いてやってくるキリスト教観に基づいた世界で、旧正月は中華圏のそれに基づいています。それぞれの血に刻まれたといっても過言ではない風習なわけです。
とりわけ、New Yearを迎えた瞬間に行われたシドニーの花火大会は、世界中の人々のうち6億人もの人が中継を通してそれを体験するほどと言われており、それはそれは盛大でした。僕も見に行っていましたが、そのスケールの大きさに感服しっぱなしでした。逆に、日本での年越しの瞬間を想起していたりもしました。たぶん今頃、テレビ見るもんなくてネットフリックス見てるなぁとか、家族で年明け早々に高尾山に出かけるためにお酒飲むのを我慢してるなぁとか、ゆく年くる年のしみじみさを思い浮かべてこたつで餅食いてぇなぁとか考えていました。
そのダラダラ感と対比できるほど、シドニーでの年明けはランダムで盛大で、まさに英語の文化圏、やっふーーーい!って感じでした。
これは間違いなく、文化のギャップだと思います。東洋と西洋というと、少し古めかしい二項対立かもしれませんが、シドニーで暮らしているとそれを感じることは少なくありません。少なくとも東洋の文化圏は、それ独自の文化圏に惹かれる人もいる代わりに、その他の文化圏に比べてやや孤立している感もあります。英語の能力だけではなく、態度や考え方に顕著に現れてきます。特に典型的な東洋人男性は、シャイで奥手で表情が読めずetc・・・社交に関する活動には向いていない傾向があります。(もちろん全員ではありません。)
もちろん、細かくレイヤー化された量子論的な世界観の中では、そういう人がいるということも是認されるべきだと思います。ただ、僕としては、仮面を外して違う自分を現出させることができる人は、また一歩先に行けると信じています。
今年一年、また違う自分を見つけてみるのはいかがでしょうか?
オーストラリアでバカになりたければ僕がお付き合いします(笑)
ということで、皆さん、素晴らしい一年を!
(しげきむ)