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『ソウル・ステーション/パンデミック』(2016)

『ソウル・ステーション/パンデミック』(2016) 『ソウル・ステーション/パンデミック』(2016)

『ソウル・ステーション/パンデミック』(2016)
(アニメーション映画)

原題: 서울역
英題: Seoul Station
脚本・監督: ヨン・サンホ

本作は、日本でもヒットを記録したゾンビ映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』(2016)の前日譚を描くアニメーション映画で、同作と同じくヨン・サンホが監督した。

余談だが、私の初就職先はアニメーション制作会社である。
私がスタジオで働いていた当時、日本のアニメ業界でいわれていたのが日本アニメ産業の空洞化である。

アニメーションでディズニーレベルの滑らかなキャラクターの動きを表現するには、一秒間に24枚の動画を描く必要があり、これだけ枚数をかけて制作されるアニメーション作品はフルアニメーションといわれる。日本のアニメーション制作会社では、アニメーターという職種は新人のうちは保証給がなく、一枚動画を描いて例えば150円といった出来高制をとっているスタジオが多い。作画枚数が増えれば増えるほど制作費が跳ね上がるため、いわゆるジャパニメーションでは、一秒間に12枚の動画を描けばフルアニメーションと私が業界にいた頃はいわれていた。
重要なアクション・ショットでは作画枚数を増やしキャラクターの動きが生きるように力を入れ、人物が長台詞を発するようやショットでは極力動きを少なくして作画枚数を減らすなど、様々な工夫がなされ、日本では「止めのアニメーション」が発達したといわれる。
世界的に人気のある押井守監督や神山健治監督の『攻殻機動隊』シリーズが動と静のメリハリのある代表的ジャパニメーションの一つといえるかもしれない。

脱線してしまったが、何が言いたいのかというと、日本の限られたアニメーター人口だけでは右肩上がりに増え続けるアニメ作品本数に追いつかず、韓国をはじめとするアジア諸国に動画の作画を発注することで日本のアニメーション業界は成り立っている。
アニメーターの一番下っ端が動画マン、その上のポジションが原画マンである。
日本の原画マンがAポイントとBポイントの動きのキーポイントを描き、それらを下請けのアジア諸国に送り、AとBの間の絵(動き)を動画マンが埋めていくという流れだ。
もう日本のアニメーターだけでは、無数にある作品の放送日・納品日に間に合わないので、動画の作画はアジア諸国に発注している。これが日本アニメ業界の空洞化といわれ、日本は企画力・演出力で勝負していかなければならないといわれていたのが2003年頃の話。

 

前置きが長くなってしまったが、この『ソウルステーション/パンデミック』が私が初めて観た韓国企画で韓国演出のアニメーション映画だ。

私が業界研究をしていた2003年頃は、まだまだ韓国をはじめとするアジア諸国に日本ほどの企画力・演出力・動画のクオリティーは無いといわれていた。しかし、本作を観て思ったのは、もうとうに韓国のアニメーションは日本のアニメーション作品に追いついている、いや、追い越しているかもしれないということだ(日本のアニメーションといっても殆どの場合、韓国人スタッフも多数参加しているのだが)。
何故追い越しているかもしれないとまでいうのかというと、日本では保守的なスポンサーや局のせいなのか、ヒットした漫画原作のアニメ化にばかり頼りがちであり、オリジナルの作品が殆ど製作されていない傾向にあるからだ。これは実写映画にも同じことがいえるかもしれない。
それに対して韓国では、アニメーション映画といえばオリジナル作品の方が多い印象を受ける。その点では、企画力だけを見ると、韓国アニメは日本アニメをすでに越えているのかもしれない。

業界の話はさておき、本作についても触れていこう。

アニメといっても様々なタイプのものがあるが、本作を観て、ヨン・サンホ監督作品は日本でいうと今敏的なテイストだなという印象を受けた。

今敏監督といえば、『PERFECT BLUE』(1997)、『千年女優』(2001)、『東京ゴッドファーザーズ』(2003)、『パプリカ』(2006)等を監督した日本を代表するアニメ監督の一人である。残念なことに2010年に46歳という若さで亡くなってしまったが。
彼は生前になにかの取材で、「僕はアニメ作品をつくる際、アニメにしか出来ないことをやろうとかは意識しない。実写・アニメという枠組みを考えずに単純に面白いものをつくろうとしているだけである。結果的に僕の監督作品はどれも実写でやればいいのにと言われるようなものがたまたま多いだけだ」と述べていた。

この『ソウルステーション/パンデミック』も実に実写的なアニメーション映画だと感じた(実際に続編ともいえる『新感染 ファイナル・エクスプレス』は実写映画である)。特に建物や風景等の背景といわれるパートが写実的でまったくデフォルメがなされていないのである。全てのディテールにおいて、実際に韓国に存在するものをリアルに細かく描写している。
おそらく、実際にシナハン(シナリオ・ハンティング)して、写真を撮りトレースするという手法をとったと推測する。

映画は世界の文化を知る上でも役に立つ。オール・セットや全編CGのSF作品等は別として、実写映画には実際のその土地の風景や建物や食物や人間が映るからだ。また、リアリティのない映画は観客が感情移入できず面白くないので、「そんなの実社会ではあり得ないよ」というような演出を多くの監督は避ける。ゆえに、映画を観ると、その国その土地の文化が発見できる。そういった意味で、映画という娯楽は、特にまだテレビやネットのない時代に世界の共通化・グローバル化に大きく貢献してきたといえる。

アメリカ映画の格好良い主人公を観た青年がその服装を真似たり、映画の中でハンバーガーを初めて見てそれを渡米して食べてみて衝撃を受け自国に持ち帰ったり……。
映画というものが、世界共通の認識・スタンダードをある程度つくりあげてきたといっても過言ではない。

いけない、また脱線してしまった……。

言いたかったことは、本作はアニメーション映画であるものの実に細部にわたり丁寧に写実的に描いているので、このアニメーション映画からも現代の韓国社会が立体的に浮き上がって現実味を帯びて見えてくるということだ。それらを見ているだけでも、なかなか面白い。

しかし、やや疑問に思う演出もあった。暴力描写の演出法についてだ。
例えば、倒れているゾンビを鉄パイプか何かの金属で殴りまくるショットがあるとする。
実写では実際に役者に怪我を負わせてはならないので、意図的にカメラが人物を腰上のウェスト・ショットで捉え、その人物に下に倒れているゾンビを殴っているように芝居してもらい、スクリーンでは人物がフレーム外(枠下)にいるゾンビ(役者)を殴りまくっているように見せるという手法がよくとられる。

もちろん、敢えてそういう残虐な描写を観客に見せないためという意図が介在していることもあるが、アニメーションであれば、ここは敢えてゾンビをフレーム内に置いて、鉄パイプで殴られて顔面や身体のいたる箇所が潰れていく画を映し出すことだって出来る。
しかし、本作のこういった暴力描写の殆どは実写でよく使われるフレーミング手法がとられている。
クライマックスのゾンビ化した主要人物が敵対者を喰い殺すシーンも、カメラはその部屋の壁を映し、照明が壁に映す陰でその喰い殺す描写を演出している。
こういったシーンの演出については、アニメーションだからこそ出来る他の手法もあったのではと、少しアイディアと工夫の不足を感じてしまう。残虐な画を見せるべきという意味ではなく、もっと色々な試みができたのではないかと思うのである。

無論、子供が観られなくなってしまう日本でいうR15やR18といったレイティングの制限がかかってしまうのを避けた可能性もあるが、そもそも本作を観た限り子供向けの作品ではないし、もはやアニメは子供が観るものという概念は古い。

 

本作で一番面白いなと思った点を述べたい。
それは、観客が感情移入してストーリーを追う主要人物が次から次へと唐突に死んでしまい、その都度他のキャラクターが打って変わってストーリーを引っ張っていくという構成だ。

前半はジョン・トラボルタが主人公であるのに、彼が劇中あまりにも唐突かつあっさりとブルース・ウィルスに殺され、そのポイントから主人公がブルース・ウィルスに入れ替わるというクエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』(1994)という映画史に残る衝撃的な傑作があるが、それに近いものを感じた。

また、物語の中で善良な味方役と誰しもが思うヘスンの父と名乗るキャラクターが、劇終盤で実は◯◯であったというどんでん返しの構成は、『シックス・センス』(1999)で脚光を浴びたナイト・シャマラン監督の『ヴィジット』(2015)というホラー映画に通づるものがあり面白い試みだと思った。しかし、そうであったならそれまでの彼の描写に少しリアリティが欠けるなという違和感も残る。

最後に厳しいことを一ついうと、本作は映画の設計図ともいえる脚本がやや弱い。
物語の展開がやや強引すぎるのだ。そこに辿り着くまでの過程を省きすぎていて、無理やり劇を終わらせにかかっている感がある。
ある女性が意識を失い、目を覚ますと彼女を捜していた二人がそこにいるみたいな急展開は、制作スケジュールや予算など様々な現場の苦難は想像できるものの、いささか雑だなという残念感が残る。

何はともあれ、韓国のアニメ産業は日本アニメの下請けという時代は終わったのだということを認識できる作品であった。

 

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崔 正憲  (ちぇ じょんほん)

札幌出身の在日三世。

2005年 学習院大学経済学部経営学科 卒業
2015年 日本映画大学脚本・演出コース 卒業(一期生)

監督作品 『熱』(2015) 第9回 TOHOシネマズ学生映画祭 準グランプリ、第19回 水戸短編映像祭 準グランプリ 『DUEL』(2013) 『ナニジン』(2013)

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