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青年会みんなの情報ブログ『バーニング』(2018、イ・チャンドン監督) 原作:『納屋を焼く』(1983、村上春樹)
『バーニング』(2018)イ・チャンドン監督
原作:『納屋を焼く』(1983、村上春樹)
脚本:イ・チャンドン、オ・チョンミ
監督:イ・チャンドン
◾️イ・ジョンス 役:ユ・アイン
◾️ベン 役:スティーブン・ユァン
◾️シン・ヘミ 役:チョン・ジョンソ
村上春樹の短編小説『納屋を焼く』(1983)を、『ペパーミント・キャンディー』(1999)、『オアシス』(2002)、『シークレット・サンシャイン』(2007)等で知られるイ・チャンドン監督が映画化し、2019年2月1日に遂に日本で劇場公開される。
イ・チャンドン映画ファンの一人である私は、昨年韓国にて一足先に本作を観た。
唸った。やはりイ・チャンドンは裏切らない。
~あらすじ~
大学を卒業し、運送会社のアルバイトをしている小説家志望のイ・ジョンスは、ある日偶然に幼馴染のシン・ヘミに再会する。商店街でコンパニオンのアルバイトをしていた彼女は、整形をしておりジョンスが気づかないほどに綺麗になっていた。
ヘミは唐突にアフリカに旅行に行くと言い出し、自分が留守の間飼い猫のボイラーに餌をやってほしいとジョンスに自宅アパートのキーナンバーを教える。
半月が過ぎた頃、ヘミから帰国するとの電話があり空港に迎えに行くジョンスであったが、ヘミはベンというアフリカで出会った韓国人男性と一緒にゲートから出てくる。
それからというものの、ヘミは常にベンと一緒にいるようになる。ポルシェに乗り、高級マンションに住み、ホームパーティーをしょっ中開くベンは明らかに富裕層の人間であったが、仕事を含め謎が多いミステリアスな男であった。
ある日、ベンとヘミがジョンスの牛小屋を突如訪れる。
三人で酒を呑みながらベンが所持していた大麻を吸い、ヘミが潰れたところで、ベンがジョンスに奇妙な告白をする。
「ビニールハウスを燃やすのが趣味なんです。二ヶ月に一度くらいのペースで燃やします。今日は実はその下見に来たのです。ここからすぐ近くにあるビニールハウスです」
その日を境に、ジョンスはヘミと連絡が取れなくなる。ヘミのアパートを訪ね、前教わったキーナンバーじゃ開かなくなったヘミの部屋を大家に頼み開けてもらうと、ヘミと飼い猫ボイラーの居ない部屋は綺麗に整理整頓されていた。
ヘミに恋心を抱いていたジョンスは心配になり、ヘミの所在について何か知っているのではとベンを訪ねるのだが……
私は村上春樹の原作を読まずして本作を観た。面白い映画だったので、気になって原作の短編小説を読んでみたのだが、驚いた。
村上春樹の短編小説『納屋を焼く』では、三人で大麻を吸った日から一年経つが未だに彼女とは連絡がつかず、近所で納屋が焼けたという話も聞かないという終わり方なのである。
『バーニング』では、この時点から劇のサスペンスが加速し、クライマックスに向けて主人公のジョンスがアクションを起こし始める。いわば、原作では如何にも短編らしく「起承結」といった感じなのが、映画ではしっかりと「起承転結」になっている。
原作からよくここまで膨らませたものだと感心した。
ここで、少しだけ原作と映画を比較してみようと思う。
まず原作で興味深いのが、登場人物三人に名前がないことである。
原作では、僕、彼、彼女(または、僕のガールフレンド)。
映画では、ジョンス、ベン、ヘミ。
そして、原作の主人公の僕は年齢が三十一歳で妻がおり、職業は小説家であり、二十歳の彼女とは不倫している。
映画では、主人公のジョンスは大卒でアルバイトをしながら文字を書いている小説家志望の若者で、再会した同い歳の幼馴染ヘミに恋心を抱くものの、身体の関係を一度もっただけである。
原作での「納屋」は、映画では「ビニールハウス」。
そして私が一番強く感じた原作と映画の差異が、主人公のキャラクターだ。
原作では主人公の僕は、もうある程度成熟した大人であり、そこまで大きく感情を表に出さない。
それに比べて、映画の主人公のジョンスは、まだまだ未熟で幼く、心の振れ幅が大きく、割とストレートに感情を表に出す。ある意味、映画的といえる。
上に記した原作と映画の相違点だけで、原作を読んだことのある本文の読者は気になって映画を観たくなるのではないか。
邦画において、ヒットした原作の映画化にはがっかりすることが多いが、韓国だと期待値をぐんと超えてくる作品が多い。
例を挙げると、日本の漫画原作の『オールド・ボーイ』(2003、パク・チャヌク監督)がそれだ。
ただ原作を丁寧になぞるのではなく、モチーフは同じであるものの、異質なものとして新しいもう一つの作品を創作したものが『オールド・ボーイ』であり『バーニング』なのである。
本作の秀逸な演出を少しだけ紹介したい。
劇序盤で、初めてジョンスがヘミの部屋を訪れるシーンで彼女が発する台詞にこんな一節がある。
「中学のとき、私にブスって言ったの覚えてる?」
二人が再会したシーンでの「整形したの、私」というヘミの台詞があっての、この台詞。
こういう何気ない台詞一つで、二人の過去の関係性や、幼い頃のジョンスの性格を観客に想像させてくれる。
また、同シーンでヘミが、
「一日一瞬だけ南山タワー(ソウルタワー)の方角から部屋の中に光が射すの」
と言う。
その後二人が身体を交えている最中に、性器を結合したままジョンスがふと壁を見ると、壁に光が射している。このショットは美しい。
三人で大麻を吸っている3ショットも注目してほしい。とても美しい画だ。すぐ後にアルコールと大麻で高揚したヘミがとる大胆な行動が、これまた妖艶で魅了され目が釘付けになる。原作には一切ない脚色である。
よっ! イ・チャンドン監督に座布団一枚!
部屋にあるテレビからさり気なく米国のトランプ大統領の演説が流れているのも憎い演出だ。日本であったら保守的なスポンサーの圧力で恐らく叶わない演出であろう。
映画と時代は切っても切り離せないのだ。
本作の主人公を演じるユ・アインは売れっ子の実力ある俳優なのだが、米国の人気ドラマ『ウォーキング・デッド』への出演で知られるベン役のスティーブン・ユァンの芝居には度肝を抜かれた。本作で一番難しい役どころであると思うが、胡散臭く、ミステリアスで、ブルジョワ感満載の、凄まじく魅力的なキャラクターとして映画を引っ張っていく。
大人数でホームパーティをしている時など、誰かが話をしている時に、心ここにあらずといった感じで常にあくびをしている演出もお見事。
本作でスティーブン・ユァンは、完全にユ・アインを食っている。
言うならば、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013)にて短い尺しか出演していないマシュー・マコノヒーが主人公のレオナルド・ディカプリオを完全に食っているのと同じだ。
ちなみに同年に『ダラス・バイヤーズクラブ』(2013)で主人公を演じたマコノヒーは、同じくノミニーされていたディカプリオを退け第86回アカデミー主演男優賞を受賞した。
そして、ラストのクライマックスのシーンでのロング・ショットの長回し。映画での引き画が持つ力強さというものをまじまじと体感できるであろう。テレビドラマでこの演出・画作りはなかなかできない。大スクリーンとドルビー・サウンドだからこそ成せる技があるのだ。
激しいアクションが無いのに目が離せない。人間の妖しい情念のようなものが劇中終始漂うこの傑作を、是非とも劇場にて体験してほしい。
※映画『バーニング』公式ホームページはこちら
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崔 正憲 (ちぇ じょんほん)
札幌出身の在日三世。
2005年 学習院大学経済学部経営学科 卒業
2015年 日本映画大学脚本・演出コース 卒業(一期生)
監督作品 『熱』(2015) 第9回 TOHOシネマズ学生映画祭 準グランプリ、第19回 水戸短編映像祭 準グランプリ 『DUEL』(2013) 『ナニジン』(2013)
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