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あの生暖かい風はここでも吹いていた

あの生暖かい風はここでも吹いていた あの生暖かい風はここでも吹いていた

はじめて、済州島へ行ったとき、風の強さに驚いた。
この島へ行く直前、風が強いので普段よりも暖かい格好をするようにと書いてあるブログを読んでいた。
「南の島なのにそんな必要はあるのか?」と思ったけれど、ネットの情報が正しいことは島に来てから思い知った。
済州島の風は強いくせに妙に生温かい。誰かが吐いた息が吹き荒れているようだった。

そんな風を身体で受け止めながら、あるひとを思い出していた。
済州島出身だった父方の祖母はとても不思議な雰囲気のするひとで、小さいころはどこか近寄りがたいと思っていた。正月になると祖母の家へ行って、彼女の膝の上に乗せられる。そのときに感じた妙に生温かい祖母の吐息がなんだかとても怖かったからだ。
あの息の正体が分からないまま、小学校6年生のときに祖母は世を去ってしまった。

「あれはいったい、なんだったのだろう。」

彼女が亡くなってからずっと考えていた。
島を歩いていると、だだっ広い空き地に出た。
そこの空き地に小さな看板が立てられている。
読んでみると「4・3事件の現場」と書かれていた。

4月3日。
この日がどんな日であるか、私は知っている。

島のひとびとが言われもないことで殺された日だ。
その看板に出会ったとき、生温かい風が私の頬を撫でた。

『あるデルスィムの物語』は1938年にトルコで起きたクルド人虐殺をテーマにしている短編小説集だ。
この作品を読むきっかけになったのは、とあるブックカフェで読書会をするためだった。トルコやクルドの歴史についてほとんど知らないまま読もうとしていた私は馴染みの薄い出来事にどう読んでいいのか分からず、挫折してしまうのではないかという怖さを感じていた。

しかし、次から次へとあっという間に読んでしまった。
この作品の読書会にクルドのひとがやってきた。トルコやクルドのことについてあまり知らない読者である私たちが読み切れなかった部分を教えてもらうためだ。

しかし、私はそこにやってきたクルドのひとに済州島で起きたことを伝えていた。
このひとたちとは本当の意味で友達になりたかったからだ。
「国境を越える」ということばはものすごくポジティブなことを連想させるが、そのなかには「どうしても語ることもできず、消すこともできない」記憶を持った者同士が出会うということも含まれていると思う。

「いい本ってどういうものですか?」と訊かれるが、私は「まったく違う場所にいるのだけれども他人事だとは思えないようなことが書かれてあるもの。」と答える。自分と同じ属性のひとたちと出会うよりも、まったく違うところで、まったく違う時代なのに何か分かち合えそうなひとたちと出会えることは読書の力であり、私自身の書くための源でもある。

いま、改めて、『あるデルスィムの物語』を読んでみる。

すると済州島で感じたあの生温かい風がふたたび私の頬を撫でたような気がした。
その風は私が祖母の吐息のようだと思ったあの風でもあり、デルスィムで吹いている風でもあると思う。

 

(金村詩恩)

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