あんにょんブログ
青年会みんなの情報ブログいずれも成功に終わった、関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式
いずれも成功に終わった、関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式
チョンソンです。
皆さん、元気ですか? 体調は大丈夫ですか? 夜は眠れていますか? 昼はうっかり嫌韓記事やワイドショーの嫌韓特集を目にして、息苦しさを感じていませんか?
相当な煽り耐性があるチョンソンですら、ここ最近の空気にしんどさを感じています。だから私よりも若い皆さんのことが、心配でなりません。街中に嫌韓ネタがあふれている今だからこそ、どうぞ自分の周りにいる家族や同胞、そして腹を割って話せる日本人の友達や仲間を大事にしてください。
さて前回、関東大震災の朝鮮人(言いそびれてましたが事件が起きた時期を踏まえて、「朝鮮」と「朝鮮人」という記述で進めます)虐殺とその否定論のからくりについて紹介しました。そしてその中で9月1日と7日に犠牲者の追悼式があることにも触れました。書いたのだから行かなくては。ということで両日とも参加してきました。
まずは9月1日、横網町公園に辿り着くともう大勢の人が駆けつけていました。11時から始まった追悼式では実行委員長の挨拶に始まり、浄土真宗の僧侶による読経と、韓国無形文化財第92号の舞踊家・金順子先生の美しくも悲しい鎮魂の舞が披露されました。
しかし参加者が見入っているさなか、そのすぐ近くで行われていた『六千人虐殺の歴史捏造は許さない 真実の慰霊祭』なる集会のスピーチが聞こえてきました。が、順子先生の舞に圧倒されたチョンソンだけでなく、他の人もほとんど気にしていなかったのではないでしょうか。
そしてさまざまな人から寄せられた追悼の辞とメッセージが読まれましたが、一番の驚きは元衆議院議長の河野洋平氏からも届いたこと。そう、あの河野談話の河野洋平氏です。昨年も村山富市元首相や朴元淳ソウル市長などがメッセージを寄せていましたが、なんと豪華(?)な。
河野氏は
「関東大震災当時の流言飛語により傷つけられ、命を奪われた韓国、朝鮮の方に心から哀悼の意を表す。このような歴史を記録し語り伝えることによって、民族差別とは無縁の、助けあって生きる社会を作りたい」
との言葉を送っていました。なのに息子の太郎氏ときたら……。まさに「親の心、子知らず」状態ですねえ。
式終了後の献花の列は30分以上続いていましたが、主催者発表によると700人以上の人が来ていたそうです。
しかし今年も残念という生ぬるい言葉では到底言い尽くせないのが、小池百合子東京都知事からの追悼の辞がなかったこと。2017年から3年連続になりますが、小池都知事は理由を「毎年9月と3月に全ての犠牲者への哀悼を表明している」と述べています。
でも天災の犠牲者とジェノサイドの犠牲者では、全く意味合いが違います。それをひとくくりにして「追悼した」というのはあまりにも雑だし、「朝鮮人だからわざわざ個別に追悼するに値しない」と考えているのであれば、「人種、宗教、政治、性別、その他に基く、国もしくは個人に対する差別は、いかなるかたちの差別であっても、オリンピック・ムーブメントへの帰属とは相入れない」というオリンピックの精神にも反しています。だったら東京オリンピックなんか辞めちゃえよと言いたくなりますが、多くの人が追悼に訪れていたことで、個人的にはそこまでの絶望を感じずに済みました。
続く7日の荒川河川敷での追悼式にも、350人以上の人が集まっていました。この日は葛飾区生まれのシンガーの李政美さんが、サックスやギター、アコーディオンに合わせて鎮魂の歌を歌いました。さらに有志によるプンムルもあり、とてもアットホームな雰囲気でした。こちらも河川敷のふもとにある追悼碑には、献花待ちの列ができていたのが印象に残っています。
両方の式に参加していた、フリーライターの加藤直樹さん(インタビューは前回記事)は、たくさんの人が参加したことを「最近の一連の嫌韓報道への危機感のあらわれもあり、『原点を確かめておこう』と思ったのではないか」と分析しました。また7日の式についてプンムルやライブなどで場を共有できる親しみやすさがあること、日本人や在日コリアンだけではなく中国や韓国からも遺族が訪れるなど、強い連帯があることを評価していました。
いずれも今年は激しい妨害などなく、成功に終わったと言えるでしょう。しかし来年はどうなるかはわからないし、風化させてはいけない問題だと思います。だからチョンソンは来年もやむを得ない予定が入らない限り行きたいと思うし、多くの人に引き続き参加して欲しいと願っています。
それぞれの場での音色と、温かな気持ちが天に届くことを願って。ではまたアンニョン。
(チョンソン)