あんにょんブログ

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そこに私は居ません。眠ってなんかいません。

そこに私は居ません。眠ってなんかいません。 そこに私は居ません。眠ってなんかいません。

どんよりとした雲がたちこめる梅雨らしい空の下、「降水確率20% 曇り」というスマホの天気予報に不安を覚えつつ、名前と死んだ理由しか知らないあの人の墓へペダルをこいでいた。

墓参りの作法なんて知らないが花は供えたいと思い、店を探すが見渡しても緑が美しい田畑があるだけで、供花を売っているようなところは見つからない。道沿いにあったコンビニへ立ち寄り、店員に訊ねるとしばらく直進すれば花屋があるという。ATMで花代をおろし、自転車にまたがって、そのまま真っ直ぐペダルをこぐ。

店と思しき建物の前に着き、中を覗くと数人が供花を作る作業をしていたので「すみません。百合が欲しいのですが。」と言って、店に入った。店員が作業を止め、「はい。いくつか種類がございますよ。」とカサブランカとテッポウユリを見せてくれた。せっかくと思い「テッポウユリ2本お願いします。」と言うと、店員は「お供え用にしますか?」と訊いてきたので、「はい。お墓に持っていくので。」と答えた。

テッポウユリを慣れた手つきで供花にしていた店員は「百合がお好きな方だったんですか?」と聞いてきた。墓の主の趣向は何も知らなかったので「私、クリスチャンなので。」としか答えられなかった。

供花になったテッポウユリを持って、外に出ると雨が降っていた。花屋に雨宿りできるスペースがないのにと予報が外れたことにいら立っていたが、しょうがないと諦め自転車に乗った。
雨で視界が悪いなか、雨宿りの場所を探していると東屋を見つけた。助かったと思い、屋根の下に入る。備えつけのベンチに供花を置き、いつも持ち歩いているタオルでバッグを拭きつつ外を眺めると止みそうにない降り方になっていた。しばらく本でも読もうとバックを漁っていると『TRICK「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』が出てきた。ちょうどいいと思い、ページを開く。

 

「朝鮮人虐殺が『あった』と言い切ってしまって大丈夫か」

著者の友人である全国紙の記者が朝鮮人虐殺の企画を出した際、校閲担当者が言ったという言葉に思わずのけぞったが、私の書いた記事がネット上で「祖国に帰れ」とコメントされているのを思い起こし、そう書き込む人たちの「抗議」を怖れたのかもしれないと想像した。大手メディアですら忖度せざるを得ない状況に残念な気持ちになりながら、ページを進めていくうちにあることを思い出した。

 

季節外れのぐずついた天気の日だった。歴史オタクの小学生だった私はその日の社会科の授業に飽きていた。戦国時代にしか興味がなく、担任が語る関東大震災の話を面白いと思わなかったからだ。周りのクラスメイトたちを見ても、中学受験をする子は「内職」をしていたし、やんちゃな子は隣の友人とじゃれあっていて、だらけた雰囲気が漂っていた。その空気を感じたのか、板書をしていた担任は生徒の側を突然、向き、「皆さんはこの時、朝鮮の人たちが殺されたことを知っていますか?近所でも犠牲になった人が居て、隣街にお墓もあるそうです。」と80年近く前に起きた事件について語りはじめた。
真剣な口調にだらけた雰囲気は吹き飛び、ゾクッとする、言いようのない空気が漂った。この授業が忘れられず、成人してから虐殺事件について調べているようになった。

あるとき、担任が言っていた「隣街のお墓」を探訪したという記事を偶然、ネットで見つけた。とりあえず、行ってみようと地図アプリを頼りにペダルをこぐと林に囲まれた寺の墓苑に辿り着いた。自転車を降り、墓を探していると「姜大興」と刻まれた古い墓石を見つけ、ゾクッとした空気を感じた。この感覚は以前にも味わったことがあると思い、記憶を遡って思い出したのは、教室で体験したあの空気だった。

「もし政治家が朝鮮人虐殺否定論を唱えて虐殺犠牲者の追悼や展示、教育などを止めよと叫び始めたら。それを諫めるために本書を活用してほしい」

あとがきに書かれたことばを読み、あのゾクッとした感覚は事実を伝えられたからのものであり、それは力ある人の一存でいつでも消えてしまう繊細なものだと思った。

 

本を閉じ、外を眺めると雨が止んでいた。今のうちにとバッグを背負い、供花を持って自転車に飛び乗って、目的地に向かって、ペダルをこぐ。
迷うことなく、林に囲まれた寺の墓苑に着いて、自転車から降り、姜大興と刻まれた墓石の前に立つ。

「ご無沙汰しております。」とクリスチャンであるにもかかわらず雨に濡れた墓に向かって挨拶し、テッポウユリを供えたが、なにか物寂しい。どうしたものかと考えていると、身内の納骨式である歌を流したという友人の話を思い出し、その歌を流すことにした。

 

私のお墓の前で泣かないでください。
そこに私は居ません。
眠ってなんかいません。

 

林に囲まれた墓苑に響く野太いテノールの声は墓の主がそう語っているように感じた。

 

(金村詩恩)

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