あんにょんブログ
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「ご飯食べてきますね。」
蕨の行きつけのブックカフェで仕事をしている途中、麻辣湯をほっしたわたしはそう言って、自転車に乗った。
つい最近まで、近所に中国料理屋さんがあったのだが、持ち帰り専門になってしまったので、近所にある芝園団地へ行くことにした。
川口蕨陸橋を渡り、線路沿いに団地はある。
麻辣湯の食べられる団地の商店街の中国料理屋に向かって走っていると、中国語で会話しながら歩いている親子や団地内の掲示板に簡体字で書かれた注意書きのある風景を見る。
商店街へ行ってみると、中国食材が売られている八百屋と100均があり、となりには韓国料理屋が1軒と中国料理屋が2軒並んでいる。
目当ての料理があるのは、2軒のうちの劉府という店だ。
腹を空かしたわたしは店へ入り、辛い麻辣湯を楽しんだ。
翌日、『芝園団地に住んでいます 住民の半分が外国人になったとき何が起きるか』という本が書店に並んでいて、思わず、「ああっ!あそこの本か!」と声を出しながら手に取り、バイト帰りの電車で読むことにした。
この本は芝園団地に住んでいる筆者が自治会や団地内で行われる行事に参加することで出会った「もやもや」感を抱いた古参の日本人住民と「見えない壁」を感じるニューカマーの中国人住民と、おたがいが壁を乗りこえようと試みる様子を書いたものだ。
芝園団地に数多くの中国人住民たちがいる風景は「多文化共生社会」の姿として、メディアで取り上げられる一方で、古参の住民たちの姿はいまいち伝わらない。しかし、ここでは自治会で主宰している夏祭りの準備や後片付けを彼らが担い、ニューカマーたちは祭りを楽しむだけの状況に「ただのり」ではないかという声が出る一方で、自治会に参加してほしいのかほしくないのか曖昧な姿勢を見せていたり、餅つき大会後、「できない人に杵を持たせるのは止めよう」という意見が出るなど、彼らの持つ、心の引っかかりが描かれている。
彼らが自らの心情を筆者に吐露する箇所を読むと「わたしたち」ということばを使っているのに気づく。古参の住民たちは先祖代々、川口にいたのではなく、転勤や仕事のために根を下ろしたひとたちが、多いにもかかわらず、ニューカマーの中国人住民たちへどう接していいのか分からない悩みを抱えつつ、また、どこかにある受け容れられない気持ちもありながら、悩みを語るときに「わたしたち」とついつい言ってしまうのかもしれない。
彼らに「そういう気持ちを持つのは違う」と言えなくもないが、そこで生活しているからこそ感じてしまう、言語化できないもやもや感や壁を解消することはできないだろう。もちろん、道理は大切なのだが、なぜ、「もやもや感」や「壁を作るのか」を構造的に考えなければ彼らが感じている感情の答えにはならないからだ。
ひとことでは言い表せない感情を持ちながら、生活トラブルが起きないように伝える工夫をしたり、相手の価値観や折り合える点を模索したり、お互いに顔の見える関係性を構築するためにイベントを開いたりとさまざまな取り組みを紹介し、「芝園団地の私たち」というアイデンティティを作ることを提案している。
戦後70年経ちながらも、いまだに「日本人」と「在日」、「日本人」と「外国人」などの見えない線があるのを実感しながら生きているわたしはまだまだ時間がかかるだろうし、半歩進んでいくためにはどうすればいいのかを考えつつ、本を閉じた。すると、自転車をいつも置いている蕨駅に着いた。
夕食を外で食べるために、この日も芝園団地の中国料理屋に行った。店へ入って、牛肉麺を注文すると八角の効いた牛肉のあんかけスープのなかに日本生まれの中華麺が入ったものが出てきた。
これだ!と思ったとき、半歩進んだ気がした。
金村詩恩
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大島隆/著: 明石書店
芝園団地に住んでいます : 住民の半分が外国人になったとき何が起きるか