壁を乗り越えてくる人たちの言葉
まだ学生だった頃、私ひとりのために卒業論文の中間発表会を大学の外でできた友人たちが開いてくれた。そのときのテーマは「日韓基本条約と在日コリアンの関与について」というもので、発表自体は上手くいって、無事に卒業論文を提出し、私は大学を卒業することができた。
社会人になってからしばらくして、そのときの友人のひとりから久しぶりに会いたいという連絡をもらい、私は彼女と池袋のファミレスで会うことになった。そのとき、彼女からこんな言葉を投げかけられた。
「あの中間発表会は詩恩君と出会ったような気がしなかった。」
日本人である彼女は大学時代、在日コリアンに関する研究をするゼミに所属していた。彼女が自身の卒業論文を書く中で様々な在日にインタビューをしたが、インタビューの中で出会う人たちは「在日の素晴らしさ」ばかりをまるで何かのマニュアルを観ているかのように彼女に話していて、彼女は違和感を持ったという。
中間発表会を開いてくれたのは「在日に話を聞く」というよりも「金村詩恩と出会うため」だったそうだ。私ならば人間らしい一面を見せてくれると思ったのかもしれない。
この言葉を投げかけられて初めて、私は「在日」というお立ち台に立っていて、周りに壁を作っていたのかもしれないと振り返るようになった。
『全身ジレンマ』という本がある。この本は作家の中村うさぎさんとコラムニストのマツコ・デラックスさんがサンデー毎日で連載していた往復書簡をまとめたものだ。中村うさぎさんと言えば、自身の買い物依存症やホスト通い、整形をテーマとした作品を書いているし、マツコ・デラックスさんは言うまでもないが、女装している自分を武器にして、執筆のみならずテレビでも活躍している。
一見すると共通点はないように思えるが、うさぎさんはマツコさんを「魂の双子」と呼んでいて、マツコさんはうさぎさんに「アンタのことを一番信用できる人間だって思っているわよ」とこの本の中で言っている。
どうしてこのような共通点が生まれるのだろうか。そんな疑問はこの本のある個所で答えている。
「うさぎ 一人で自分のためだけの生きていくことに対する、なぜか罪悪感みたいなのがあったりする。あなたと私のつながっているところとはホモとシングル女が似ているということと、そういう問題意識の持ち方だと思うんだよね」
違う属性であればあるほど、その違いばかりが目に付いて話をすることが無くなってしまうし、外の世界に出ようとすると「在日」としての立ち振る舞いが求められて、いつの間にかそれが壁になってしまう。本当であれば誰かと言葉にならない「もやもや」を共有した方が良いのに、自分だけのものにしてしまって生きづらさを生んでしまうことになる。
実はマツコさんが今、活躍しているのはうさぎさんがきっかけだった。ゲイ雑誌の編集者を辞めて、2年間の引きこもり生活に入ってしまった無名の彼を対談相手に抜擢したのは彼女で、書くことを勧めたのも彼女だった。
私の友人は私を外の世界に連れ出そうとしていたのかもしれない。彼女の言葉のお陰で在日以外の世界に目を向けようと思ったし、できるかぎりあらゆる人とつながって一緒に考えた方が良いと感じるようになった。思えば、こうやって書くことや考えるきっかけをくれた人は
「在日の外の人」で、壁を乗り越えて、私に外の世界を見せてくれた。
自分にとって本当に大切なことを言ってくれる人は壁を越えて、共通した何かを持っていて、真剣に向き合ってくれる人だと思う。私もマツコさんと同様、書くことを憶えた。私は外の世界の人が出してくれた大切なヒントで今を生きている。
(金村詩恩)
うさぎとマツコの往復書簡 全身ジレンマ (双葉文庫) →こちら
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金村詩恩さんインタビュー記事→こちら