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失われたことばを刻む

失われたことばを刻む 失われたことばを刻む

    私は在日1世のおじいちゃんのものまねが得意だ。とくにしゃべり方が似ていると言われる。彼らのしゃべり方はニューカマーの韓国人たちがしゃべる片言の日本語とは違って、じっとりとした湿っぽさがある。もちろん、個人差があるのかもしれないが、日本人の老人たちから話を聴いてもあの湿っぽさが出ることはない。

 私はこの湿っぽい日本語を聴くのがとても好きだった。ものまねができるのはそのせいだろう。

 同じ年ぐらいの友人にこのものまねを披露したことがある。彼は困った顔をして「ごめん。なにを言っているのかさっぱり分からない。」と言った。

 その友人のことばに寂しさを感じた。

 『あがの岸辺にて』は新潟水俣病の舞台になった阿賀野川流域の昔話を収集した文集で、1981年に新潟水俣病安田患者の会(当時は「安田未認定患者の会」という名前だった)で発行され、2016年になってから復刻されたものだ。

 ここの収録されている話はハリウッド映画のようにヒーローが出てくる壮大なものではなく、川に棲んでいる魚を獲る話や帆掛け船で下流の街まで行く話など淡々とした生活の話が方言で書かれている。

 ものまねを披露した友人と話していたとき、彼が大河ドラマ「いだてん」に出ているビートたけしさん演じる古今亭志ん生のことばが聴き取れないと言っていた。私は友人のことばに少し驚いた。私の父も東京の下町生まれだったので、たけしさんのようなしゃべりになることがある。そんなことばに聴きなれていた私は友人のことばに少し驚いていたが、方言を聴く機会が少なくなっているかもしれないとある体験を思い出していた。

 阿賀野川流域のある温泉に入ったとき、浴場で地元のおじいさんに話しかけられた。わたしはまったく聴き取れず、何度か訊き返してようやく「お兄さん、どこから来たの?」と聴くことができた。
 私が生まれ育った地域では50年ほど前まで方言でしゃべるひとたちがいたというが、いまではほとんどが標準語でしゃべっている。そういう環境で育っていると耳も標準語以外の日本語は聴き取れなくなってしまう。

 それを「時代の流れ」だと割り切れればいいのだが、わたしはちょっとした寂しさを感じ、何とか残せないものか?と思い、とりあえず、文字で残そうとしてみるものの、なにかが違う。

実はこの原稿を書くとき、在日1世のおじいちゃんのものまねを書こうとしたのだができなかった。

あの湿っぽい感じが再現できないのだ。

 「うーん。どうしよう。」と思っているときに『あがの岸辺にて』を読むと、そこには見事にその時代を生きたひとたちの温度を感じる言葉が残されている。

 この文集を読むたびにわたしはそのすごさを感じるとともに、未来を感じることがある。それはどのようにしてこれから失われつつある生活のことばを残していくかという問いにひとつの答えを教えてくれていると思うからだ。

 標準語に取って代わられるなかでどのようにして、あの湿っぽいことばを残していくのかという問いにわたしはまだ答えを出せていない。外の世界で作られた知恵を拝借しながら「ああでもない。こうでもない。」とつぶやき、鉛筆を握っている。

 あたらしいことばはそうやってできてくるのかもしれない。

 

(金村詩恩)

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