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希望

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 いまから20年以上前のことだ。

小学生だったわたしは年末の買い出しのために、父に手を引かれ、ひとでごった返す年末の上野を歩いていた。公園の階段で似顔絵を描いてくれる絵描きのおじさんの隣にどこから来たのか分からない外国のひとたちが立っている風景を見たり、空き缶を立て、その前でじっと正座しているおじさんたちのいる地下道を歩かなければいけなかったせいか、小さなわたしは父の手をいつもより強くつかんでいた。

 アメ横に入ると「数の子、1000円!1000円!」としゃがれた声が聴こえる。その文句に惹かれたのか、声の主である店員に数の子を見せてほしいと父は頼んだ。品定めをする父の横で退屈していたわたしはなにか面白いものはないかと周りをきょろきょろ見渡す。すると、目鼻立ちがくっきりしている同じ年ぐらいの女の子が「ママー!ママー!」と泣きそうな顔で母親を探していた。しばらくすると、母親と思しきひとがきて、英語でもなければ韓国でもないことばで会話していた。

 その様子をじっと見ていると「見ちゃいけない。」という父の声とともに彼の手がわたしの目を覆った。そして、別の場所へと手を引かれた。

 

 『そんなある日曜日、みんなで上野のアメ横に行くことにしたのです。

「あの通りはとても混んでいるから、迷子にならないようにね」と言われていたのに、私はすぐに迷子になりました。』

 

 『ふるさとって呼んでもいいですか 6歳で「移民」になった私の物語』の一節を読み、小さなころの記憶をふと思い出す。

 この本は6歳のとき、イランから日本へ移民したナディさんが来日してから現在に至るまでの生活を書いたものだ。人出の多い年末のアメ横で迷子になったり、学校で大きなけがをしたのに親へ言わなかったなど、幼いときにだれもが経験したようなことが書かれていると思いきや、迷子になったとき、イランに住んでいるはずの伯父に声をかけられたような感覚に襲われ、しばらくしてから事故で亡くなったと分かり、葬儀に参列したくてもできなかったり、怪我したのを言わなかったのは保険証がなくて、高い治療費を払えないからと彼女の持つ切実さが「こんにちは。」と言って、現れる様に体温を感じた。

「在日」もしくは「移民」という大きな主語で語られたものを読むと、さまざまなひとの血が通った物語を無機質で画一的な問題として加工されてしまったような気持ちになる。「まぁ、いいか」と思った次の日ぐらいに真面目そうなひとから「在日/移民って○○なんですよね?」とどこかで読んだ記事の答え合わせのように訊かれ、苦笑して、「知識」になってしまったことばに少しでも血を通わせようと生活に根づいた話をする。その話を面白いと思って、聴いてくれたとき、教科書の太字にされてしまったわたしが血の通った存在としてよみがえり、なにも知らない他者へ心を開こうと思える。

これを「出逢い」というのだろう。

 読み終えたわたしは、あのとき、観た子はどういった物語を持って生きていたのかと想像しながら、20年以上前の記憶にふたたび飛び込んだ。

 どこへ連れて行かされるか分からないまま、手を引く父に「さっき、英語でもなければ、韓国語でもないことばで話をしている可愛い女の子がいたよ!」と無邪気に言うと、「多分、イランから来た子だな。」と父が答える。

 イラン?場所も分からない国の名前をはじめて聞き、いったい、どんなひとたちが住んでいるのだろうと考えているうちに、東上野のコリアンタウンに着いていた。

 いま、高層ビルが建っている場所は、精肉店や焼肉屋、キムチ屋が雑多に立ち並ぶ風景を「見ちゃいけない」と言うように大きな看板が幹線道路沿いに立つコインパーキングだった。

 懐かしい風景にわたしもあの少女と同じような存在だったと気づく。

 どう倒せばいいのだろうと思ったとき、ナディさんを思い出し、体温の感じることばであの看板は倒れるかもしれないと思った。

 

(金村詩恩)

 

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