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旅に出よう

旅に出よう

 私は学生時代、釜山に1年間留学していた。韓国語が全くできないまま旅立ったのだが、大学で親切に教わったおかげで夏休みになると韓国各地をひとり旅するぐらいにまでになった。
 その中でも忘れられない旅、いや、やらかしがある。この話をする前にとりあえずこんな前置きを書いておこう。

 これから書くことはフィクションです。実際の人物・団体とは関係ありません。(関係ないと思っておいてください。)

 釜山の隣街の金海には「外国語高校」と呼ばれる高校がある。韓国には高校受験がないため、各地の中学校で成績の良い生徒たちを選抜して、外国語を勉強させる高校らしい。
 私は留学中にこの高校で日本語教師として勤めている方と知り合って、その方から自転車を貸していただくことになった。
勤務先の高校が金海の奥地にあったため、私が当時住んでいた大学の寄宿舎から軽電鉄やタクシーを乗りついで、1時間ぐらいかけて向かった。到着するとその方から自転車を受け取って、近くにあるティッコギ屋(金海名物の豚肉の切れ端の焼肉)で3時間ぐらい飲んだ。
 「そろそろ帰るか」と思って、席を立ったところ、その方からバスに自転車を載せられることを聞いて、自転車に乗ってバス停を目指した。
バス停に着くと、運転手から「自転車は載せられない」と言われ、そのままバスはどっかへ行ってしまった。茫然自失となる中、とりあえず帰ろうと思って、行きの道のりを必死で思い出しながら、灯りのある方向へ自転車をこいだ。途中、大きな道に出た。ここを通らないと帰れないと思って走っていると対向車線から「ブー!」とクラクションを鳴らされた。一体、何事だろうと思って、ふと上を見上げると「自動車専用道路」と標識に書いてあることに気づき、その道路から脱出した。

 そのまま、自転車をこいでいると次は雨が降ってきた。絶望的な状況で雨が降ってくると心が折れて泣くものだ。ようやく街中のモーテルに着いたとき、午前2時になっていた。
「ここでひと眠りして、翌朝、寄宿舎に帰るぞ!」と思っていたら隣の部屋から韓国語でおっさんとおばさんが怒鳴りあっている声が聞こえる。怖くて朝まで眠れず、結局、一睡もしないまま、モーテルを出た。
街に出てしまえばこっちのものだ。軽電鉄の路線に並行して走れば寄宿舎には着く。だが、この目論見は甘かった。朝鮮戦争中、朝鮮人民軍が釜山への侵攻を諦めた理由と言われている洛東江が私を待ち受けていたのだ!
「もうダメか。」と思ったとき、たまたま工事用の人が渡れる橋を発見し、その橋を渡って、寄宿舎に着いた。

 『ナチュラル・ナビゲーション』という本がある。この本はイギリスの探検家トリスタン・グーリーの初めての著作で、地図やスマホのない時代にどうやって人間が旅をしたのかを検証している。
私たちはどこかへ出かけるとき、スマホに頼ってしまう。
しかし、それがないときどうすればいいのか。

 韓国でハードな旅をしてきた私はいつの間にかスマホがなくても東西南北が分かるようになっていた。太陽は東から昇って南を通りながら西に沈む。これさえ分かっていれば、だいたい東西南北は把握できる。どうやらこういうことを地図のない時代の旅人もしていたらしい。
テクノロジーを得てしまうとその感覚は失われてしまう。どちらがいいというわけではない。テクノロジーを得たことによって、救われる命もあるだろう。しかし、そうじゃない旅もまた面白い。
そう考えるとあのときの旅は正しかったということだろうか。(そういうことにしといて欲しい)

しかし、この本にはあることが書かれていない。

 先日、同胞と呼ばれる人と話をしていた。その人は「一回、朝鮮に行ってみたらどうですか?」と私に言ってきた。
その言葉を聞いて、一瞬、背筋が凍った。
私の家族は朝鮮戦争中、朝鮮人民軍に殺されている。
もし私が行けばどうなってしまうのか・・・・・。
 どう答えていいのか分からず、私は逆に「韓国に行ってみたらどう?」と言ってみた。すると相手は「国家保安法があって、どうなるか分からないので・・・・・。」と答えるとお互いに黙ってしまった。

 テクノロジーのない時代にこんな沈黙があったかどうかは知らない。だが、こんな線を実感してしまったとき、どうすればいいのかということはあの本にはなかった。

 気まずい空気の中で、私はとりあえずこう言った。

「もし、韓国に行くなら自転車に乗る練習をした方がいいよ。」

 

(金村詩恩)

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~あんにょんブック おすすめ本~

ナチュラル・ナビゲーション: 道具を使わずに旅をする方法

出展:www.amazon.co.jp

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