興隆する嫌韓、韓流ブームの変遷
BTSの原爆Tシャツ問題で揺れる日韓。先月、BTSのメンバーであるジミンが原爆をモチーフとしたTシャツを着たことが問題提起され、日本で大バッシングが巻き起こったことが記憶に新しい。
問題となったTシャツは、PATRIOTISM(愛国)OURHISTORY(私たちの歴史)LIBERATION(解放)KOREA(韓国)と言った言葉とともに、韓国人たちが解放を喜び万歳している写真と原爆投下直後の写真がプリントされている。
この報道直後の日本での音楽番組出演はキャンセル。そして、今年の紅白歌合戦の出場も取り消しになったといわれるほどだ。TWICEなどの活動で、日本国内で第三次韓流ブームが席巻しはじめた矢先の出来事であり、今後の韓流ブームの行き先に暗雲が立ち込めることになってしまった。
所属事務所であるBIGHITエンターテイメントが、『Big Hitは、日本と韓国の原爆被害者協会の関係者に接触し、現在、提起されている問題に対する説明および傷つき得た方にお詫びをしております』と謝罪を表明したことにより、一旦、終焉を迎えたものの、今後の日本での活動には制限がかかることが予想されるであろう。そこで改めて、日韓における嫌韓、韓流ブームの変遷をたどってみたいと思う。
韓国で“アイドル”という位置づけができたのが1990年代だ。そのきっかけとなったのが、今や韓国を代表する大手事務所となったSMエンタ―テイメントが日本のジャニーズをモデルとし、デビューさせた男性5人組からなるH.O.Tだ。
その後、大手事務所JYPの代表であるパク・チニョンがプロデュースしたgodや今でも精力的に活動する神話、そして女性グループではSES、ピンクル、Sugerなどが後に続いた。当時、SESやSugerなどは日本のバラエティ番組に出演し、精力的に活動していたが、1990年代後半には人気に火が付くことなく、知らない間にひっそりと終焉を迎えていた。
そして第二次韓流ブームのきっかけとなったのが、2004年に日本でデビューを果たした東方神起である。彼らに続けとばかりにKARAや少女時代、SS501たちが次々の日本でデビューを果たした。そして今でも日本で不動の地位を獲得したのが、BIGBANGである。BIGBANGの功績は一旦終焉してしまった第二次韓流ブームを経て、第三次韓流ブームに引き継がれている。
その第二次韓流ブームの終焉のきっかけをつくったのが、ときの大統領であるイ・ミョンパクである。2011年にイ・ミョンパク大統領が竹島に上陸したことや、天皇謝罪発言を行ったことにより一気に世は嫌韓ブームに。それに追随するように、韓流ブームは日本では尻すぼみになってしまったのである。
そして今回の第三次韓流ブームは前述したBTSやTWICE、そして日韓アイドルグループのIZONEなどが華やかに日本でデビューを果たし、活動していこうとした矢先に前述したBTSの原爆Tシャツ問題が勃発。さらに追い打ちをかけるように、徴用工訴訟や韓国政府による慰安婦財団の解散発表が重なり、前途多難に陥ってしまったようだ。
今後の韓流ブームの復活を望むが、しばらくは時間を要することになりそうだ。
(松庭直)