言葉を作る
「母語以外の言語を「身につけていく」可能性は、常にわれわれに開かれている。そのような人間固有の自由を活かし、外部の力や不可抗力に強いられることなしに自らの主体的意思をもってある外国語を選択し、学ぶことができるのは人類史上A・クリストフを含む非常に多くの人々が舐めてきた辛酸に照らして、非常に恵まれたことだと考えるべきだろう。」(『文盲 訳者あとがき』より)
今回はハンガリー人作家アゴタ・クリストフの自伝である『文盲』を紹介したい。彼女は21歳のときに起きたハンガリー動乱を逃れるためにスイスに難民として亡命し、時計工場に勤めながらフランス語を習得し、51歳のときに『悪童日記』をフランス語で書きあげた。以来、彼女はほとんどの作品をフランス語で書いる。
『文盲』はそんな彼女の波乱万丈な人生と言語観について赤裸々に書かれている。
彼女はこの本の中で「この言語を、わたしは自分で選んだのではない。たまたま、運命により、成り行きにより、この言語がわたしに課せられたのだ。」と語っている。彼女に限らず政治的な亡命者とはそういうものだ。逃げた先の土地で生きていくためには現地の言葉を受け容れなければいけない。その一方で、私は彼女の言葉を読んでいて、フランス語に「亡命」したからこそ書くことができたのではないかと思う。
社会的に迫害を受けた経験のある人たちほど母語から脱出しようとする。済州島4・3事件を描いた『火山島』を書いた作家の金石範さんに講演会に行ったとき、彼が「この作品(『火山島』)は日本語だからこそできたものだ。」と語っていた。長らく韓国の中ではタブーとされてきた事件をテーマにして書くということは政治的に難しいからだ。現に韓国語で書かれた4・3事件にまつわる作品は当時の政府によって出版が差し止められた。
自伝によると彼女はハンガリーで生活していたころ、ハンガリー語で詩を書いて発表していたこともあったそうだ。もしも、ハンガリー語で書きつづけていたら彼女は世界的な作家になることができたのだろうか。
思いもがけず、自分が社会の中で迫害される側になって初めて見える世界の姿がある。その世界の姿を最初は信じたくないと思うのだが、だんだんとその世界を受け容れるためにどうすればいいのかともがく。そのときになって初めて、人は何かを表現しようとする。どうやら彼女と一緒に難民になった人たちの中には自ら死を選んだ人も居たらしい。そうした中で生きていくために彼女はペンを執ったのだろう。彼女がこの作品を作ることができたのは彼女の壮絶な亡命経験にあったし、その経験を亡命先で習得しなければいけなかったフランス語で書くというところにあったのだと思う。
何か世界が怖ろしい形に見えてしまったとき、それは何かを表現するべきときなのかもしれない。その表現方法が一体何かは分からない。文字を読むことが好きだった彼女のように作品を書くことかもしれないし、ある人にとってはカメラを持って映画を撮ることかもしれない。しかし、そうした瞬間が現れて、初めて、自分だけの言葉を作ることができる。
アゴタ・クリストフは訳者のあとがきに書いているような「人間固有の自由を活かし、外部の力や不可抗力に強いられることなしに自らの主体的意思をもってある外国語を選択」したわけではない。だが、外部の力や不可抗力によってはじめて彼女は彼女の言葉を生み出すことができた。きっとこうした彼女の人生を知ることもまた、希望なのだと思う。
(金村詩恩)
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