韓国で秋元康バッシングが巻き起こった背景とは
少し前のことになるが、韓国で、BTSの新曲をAKBの総合プロデューサーである秋元康が手掛けると発表されるや否や、大バッシングが巻き起こり、急遽、他の曲に差し替えられ、発売にいたるという経緯があったことをご存じだろうか?
問題視されたのは秋元康が手掛ける楽曲の中で、「女の子は可愛くなきゃね 学生時代はおバカでいい」や「難しいことは何も考えない 頭からっぽでいい 二足歩行が楽だし ふわり軽く風船みたいに生きたいんだ」とった、女性蔑視と捉えられる歌詞があったということだが、なぜ、韓国では発売中止にいたるまでに追い込まれたのだろうか。
その背景にあるのは、韓国での女性の立場の向上があるのではないかと考えられる。韓国といえば、日本より男尊女卑が色濃く残っているといわれるが、日本と同様、一昔前に比べると、その傾向は弱まったものの、まだまだ女性の立場が弱いと言わざるを得ない声が聞こえてくる。
私の韓国に嫁いだ日本人の友人によると、日本でいうお盆・お正月にあたるチュソクでは、いまだに女性に多くの負担がかるのが現状。一昔前までであれば、女性の社会進出もそれほどまでに進んでいなかったため、女性の立場向上を訴える声を耳にする機会が少なかった。しかし、昨今は女性の社会進出も進み、社会に出て働く一方、家庭的なことも押し付けられるアンバランスな状況に女性たちが声をあげ始めたのである。
たたでさえ、男尊女卑の傾向が強い韓国がゆえ、反動するとより一層強く、女性の権利が主張されるのである。それが顕著に表れているのが、昨今世界的に話題になっている、MeeToo運動(前回ブログ記事はこちら)である。韓国でも女性検事が元上司をセクハラで訴え、そこから芸能界や政界へその輪が広がり、全国を巻き込んだ運動になった。
まさに、今、韓国の女性たちは、女性蔑視や差別といったことに関してはとても敏感になっている状況なのだ。よって、秋元康の書いた歌詞も、韓国の女性にとっては許しがたいことであったのだ。
一方、なぜ、日本ではここまでのバッシングが巻き起こらないのだろうか。その考察も必要である。日本では、一言でいえば、過渡期が過ぎ去ったといったところであろうか。日本も1980年代に男女雇用機会均等法ができた際には、女性の社会進出が進んだ一方、社会がそれに追い付いておらず、ひずみが生じ、フェミニズムといった女性の立場を主張する動きがあった。あれから約30年経過し、まだまだ、日本でも女性の社会進出は厳しい部分もあるが、だいぶ、一昔に比べると会社の女性への理解や選択肢が増えたと思われる。
日本ではその時期が過ぎ、秋元康が書く女性蔑視とも取れる歌詞や、MeeToo運動に対して、女性を取り巻く環境に社会が追い付いてきたこと、また、言っても変わらないという諦めの部分も多く締め、それほどのまでのバッシングが起きなかったということなのだろう。
よくよく考えると、女性からすれば、20歳も超えた女性がフリフリの制服に身を包み、歌い踊る姿に狂喜乱舞する男性たちの姿には、正直、理解できない。しかし、日本の女性たちはその状況に無関心なのか、またはあきれ果て、慣れてしまったがゆえに、理解できないという気持ちに気が付かないのではないだろうか。
(松庭直)