Youは何しに金海へ?
釜山にいたとき、沙上駅のすぐ前にあるインドカレー屋に入るかどうか悩んでいた。韓国の真っ黄色なカレーではないものを食べたかったからだ。普通、「日本のカレーを食べたい」となるところだが、日本に帰れば、簡単に食べられるし、どうせなら本場の美味しいインドカレーを食べたい。
そうこうしているうちに私は日本へ帰ってしまった。
しかし、なぜ、あんなところにインドカレー屋があったのだろう。
隣街の金海に行ったとき、たくさんのインド人たちを見かけた。
「どうしてこんなところに?」と思いながら、私は街の中心にある金首露王陵という遺跡に向かった。
金海はかつてあった伽耶の中心地で、金首露王はその国の初代国王だ。この街には金首露王の墓とされている金首露王陵がある。
墓の前にある小さな資料館に入ると、金首露王と王妃である許黄玉の肖像画があった。王妃の顔を見ていると少し顔つきが違うと思い、隣にあった説明板を読んでみると、彼女はインドからやって来た王女だったというのだ。
それを読んで「インド人たちをたくさん見かけた理由はこれか!」と思った。どうやらこういうことを韓国のことわざでは「カラスが飛び立ち、梨が落ちる。」というらしい。
だが、またひとつ疑問が浮かんでくる。
彼女はなぜ金海に来たのだろう?
思わず、「Youは何しに金海へ?」と肖像画の前でつぶやいた。
エドワード・サイードは『オリエンタリズム』で知られているパレスチナ系アメリカ人の文学研究者だ。彼は幼いころ、エルサレムで生まれたが、当時の情勢が原因でカイロに移り住む。15歳でアメリカの学校に入り、そのままアメリカに住み続けた。
晩年、彼は盟友であったタリク・アリからインタビューを受け、自己の半生を語った。
今回、紹介する本はそれらをまとめた『サイード自身が語るサイード』である。
もし、サイードを手軽に知りたいのであれば彼の生い立ちから趣味の話までこと細かく語っているこの本がいい。
そんな彼がアイデンティティについての質問をされたときにこんなことを言っている。
「率直にいってアイデンティティの問題、とりわけ自分自身のアイデンティティの問題はどうしようもなく退屈な問題だと考えているね。まったく興味を惹かないし。むしろこう言いたいくらいだ。もし生きるのに残された時間のなかで、ひとつだけやってみたいことがあるとすれば、それは自分自身のアイデンティティをなんらかのかたちで堅固なものにするというより、アイデンティティから縁を切ることだとね。わたしは好きで、またニューヨークという場所も後押ししてくれるように思える考え方っていうのは、自分のアイデンティティを変えること、もしくは異なる存在になることだ。どれだけアイデンティティを変えられるか、かかる費用はいくらかなどおかまいなしにね。
民族共同体に帰属するという考え方をもてあそぶ時間は、わたしにはほとんどない。そんな考え方を抱くことが、さほど面白いこととも思えない。それに知的に高めてくれるわけでもないし。どうせがっかりするにきまっている。むしろかなり不毛なことだ。いきおいフィリエーションよりもアフィリエーションの自発性のほうが、わたしは好きだな。友情関係、知的、精神的なつながりをもつことの方が、自分の特定のアイデンティティから派生してくるよりも、わたしにとってははるかに貴重だよ。」
サイードは長らく警察とのホットラインを欠かさなかったという。それはパレスチナ問題やアラブ人問題について大胆に語っていたからだ。さらに彼はパレスチナやアラブに対して強硬な姿勢を取る西欧諸国だけではなく、自分の身内であるはずのパレスチナやアラブの人たちについてもしっかりと「批評」していた。
彼が求めたものはパレスチナ人として自分自身を正当化する言葉ではなくて、アイデンティティを超えたアフィリエーションとしての言葉だった。
私は金首露王を始祖とする金海金氏だそうだ。この本の隣に我が家の族譜がある。だが、私は族譜を信じていない。私にとって、こういう家系の話よりもアフィリエーションの方が大切だから。
族譜の最初のページにあのインドからやってきた許黄玉の絵がある。ちょうどそのページを開いていたとき、済州島に逃れてきたイエメン人難民たちの在留許可が出たことを知った。
目の前にいる彼女が一体、どういう理由で来たのか分からない。もしかしたら、「Youは何しに金海へ?」と私が質問しても、語れない何かがあったのかもしれない。
そんな語れぬ人たちとともに分かち合う言葉とはなんだろう。
サイードはそんなことを忘れなかったのだと思う。
(金村詩恩)
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